長期的=目的と、短期的=目標 が入れ替わらないように。


先日人との話の中で、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」の中の話で、美和(井上真央)が、群馬に移住して製糸工場に関わる部分の話があった。

明治の世に進んだ後、蚕の生糸が海外で高く評価されているからと収入が良く、多くの農家がどんどん参入し、結果生糸の品質が保てなくなり生糸価格が暴落していくという。
ただ、行政もそうなっていくことはわかっているけど、そのころの農家の貧困具合は激しく、農家の救済策の意味合いも兼ねてあえてどんどん蚕の養殖、生糸生産を奨励していったという。

これは本当にどこにでもある話だな、と。
目の前の利益が手っ取り早く向上するからと、長期的に問題になる可能性も感じつつも目をつぶってきた、という点。
当然利益が上がってきたら他に切り替わっていく農家・工場も出てくることを期待してただろうし、ゆっくりやっていると状況変わるのだからと進めたのかもしれない。国からの数値目標のプレッシャーで年の目標を優先させてきた、ということもあるかもしれない。

ただ一方で、品質を担保するためにノウハウ共有の仕組みや品質検査機関設けて、少し時間かかるけどそのままさらに多くに展開できたかもしれない。それがより大きな富を作っていた可能性もある。

ここで取り上げたいのは、長期的な視座で動けている人がどれぐらいいるのだろう、組織内で長期的な視点で判断出来る人がどれぐらいいるのだろう、ということである。

よく高校学校教育の話を聞くのだが、それなりの偏差値の高校だとほとんどが塾(予備校)に行っている。そこで受験に受かるハウツーを学んでいくため、自分で考えだす力=地力が育たない点を危惧している、という。
その学校では成績トップの子は塾に行っておらず、2番から10番はすべて塾に行っているそうな。
最近はネットでなんでも調べれるため、より深く思考しない傾向が増しているように感じる、という現場の言葉。

地力を育てる教育をすれば結果的に良い大学にも受かる、という自信はあるが、
では高校組織としていざ地力を育てる教育をしてみるとどうなるか、という。

たぶん開始1年は今までとスタイルが違うところもあり、先生全員がすぐにその体制に変われない(今まで通りのスタイルで行く)等もあり
全体の教育方針が統一されず、全体成績は下がる可能性がある。
そうなった場合、必ず親からクレームが来る。また学校が役に立たないと塾に行かせる率も増えるだろう。
それが広まるといい生徒も入らず、負のスパイラルに陥り、強制的に管理している行政組織や教育委員会からテコ入れが入るかもしれない。
そうなるとその方針終了である。

上記のような状態にならないためには、長期的に「必ず」今までより良くなる、という未来像を示し(=VISION)、その時まで信頼して任せてもらうよう周囲を説得できないといけない。
ただし、それが長くなりすぎると周囲・関係者が「こんなに待ったのにダメなら、ダメだろう」という気持ちになって協力してもらえなくなってくる。そのため、どれぐらいかかるかの見通しと、そこまでに現状レベルは維持しつつ長期目標に到達するための布石を打っていかなければならない(=戦略と実行)。

京セラの稲森和夫氏は、京セラが初めて海外(アメリカ)に打って出るとき、組織のNo.2以下信頼出来る能力ある人を日本に残し、既存事業を維持発展させつつ、アメリカには稲森氏と新人だけ連れていき、市場の開拓に成功したという。
上記によって、本丸は守りつつ、アメリカでは稲森氏の指導と成長出来るフィールドにより非常に鍛えられ、新人が大きな戦力にも成長した。
海外で成功する、というVISIONを持って、いざという時に戻れるよう日本を守りつつ、新人教育と新市場開拓という果実を求める戦略・実行を選択したものだと考える。

企業はコントロール効きにくいものは市場であり、既存市場は比較的見通し立ちやすいため戦略も立てやすいが、学校だと成果目標が結果として見えにくく、親の関与度も高いため難易度は高いと思う。ただどちらにしろトップのVISIONと、うまくいっているなと感じさせる戦略と実行の重要性は変わらない。
組織の中にいると、目的のために目標があるのに、いつの間にか目標が最重要な判断になることが多々あると感じる。
例えば東芝の不正経理も、組織力も市場も整ってない中での予算・売上目標に、下がつじつま合わせる行動をしてきたのが常態化していたことが原因。(面白い例え、粉もん料理に励んだ東芝。。 http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65835290.html
小宮コンサルタンツ代表の小宮氏も同じこと言ってますね。

目的は長期的で、目標は短期的、とすると、人は常にここを混同する生きものなのかもしれない。
そう自戒して、常に目的を見失わず、目的に近づいているなら目標未達も冷静に分析し次に活かす糧だと認識し(目的のための指標が間違えているだけかもしれないし、目標値の大胆さが足りないかもしれないし、努力が足りなかったためかもしれないが)、周りの言葉を精査して考え行動していかなければいけない。


人の縁は、想いと行動から


久々の記事。書きたいと思ったことが出てきて、実際に机に座るとどういうことを書きたいのか忘れてしまう。
日々そういうことが続いて、ついつい書けないですが。。

言わずと知れた松下幸之助氏の「折々の記 人生で出会った人たち」最近読んで、最後の締めの部分で人の縁について書いていた。

そこに書かれていたのは、縁とは不思議なものだということ。
例えば 長らく松下電器の技術部門総責任者で副社長にもなられた 中尾哲二郎氏 は、関東大震災がなかったら、震災後に頼った工場の長に気に入られていれば、入社後にお世話になった人のところに戻ったがその人の事業がうまくいっていたら、中尾氏は松下電器で活躍していなかった、と。

そのような人の縁に会うのに、でも実は日々生きていたら自然に会うわけではない、というところがミソなのだと思う。

自身でも自分で事業を起こした後に非常に感じることだけど、縁は、「想い」と「行動」の上にやってくる。

初期の方から一緒にやってくれているメンバーの2人は、同じ会社、同じ事業所のメンバーではあったけど、
最初から引き抜こうと思って声をかけたわけではない。

自分自身でも、最初のサービス『AQMAP(アクマップ)』の開発は、普通の起業と違ってすぐに事業化出来るような簡単なことではないと思っていたため、自分ひとりでやり始めたが、その進みの中で自分の構想を話する、任意団体で理事をお願いする(実際は名前貸してくれ、の意)、といったことをやっていると、相手も共感してくれて、結果CWPに参画してくれた。
理由はそれぞれで、何度も差し戻しのあいながら家族を説得してくれたり、転職しようと思っていたタイミングだったり。

その後のメンバーも、クラウドファンディングで開発資金を募集している時に、そのプロジェクトは未達で資金は手に入らなかったが、そのプロジェクトを見て連絡してくれて入ってくれた人。
『川遊びマップ』が面白いと思って、その企業が名古屋にあると知ってすぐに問い合わせしてきてくれ、会った次の日にはその時の職場に退職願いを出した人。
補助金の関連で人材募集が出来て、周りに声をかけた時にたまたま求職活動をしていた人。

他にも、400人の前でプレゼンして、投票してくれたのは10人満たなかったけど、その投票してくれた人達が他の人につないでくれたり、協賛につながったり、新しい企画作ってくれたり、事務所移転時に備品放出してくれたり。
他の場では同じように共感してくれたのは数人に満たなかったけど、その数人のつながりがまったくつながりが無く経験もない行政からの発注にも繋がったり。
数えると枚挙にいとまがない。

正直、『AQMAP(アクマップ)』の構想は最初の方では1%の共感者・理解者がいるかどうか。
大部分は「使ってもらえるの?」「それ稼いでいけるの?」「うまくいかんでしょ」、または興味なし。
どれだけやっても、凹むことは凹む。なかなか慣れるものではない。
ただ、その1%が熱い協力者となり、その次を作っていく。
理解者は、その製品やサービスを見ているわけではなく、それを生み出す人たちの実現したい世界観・思想に共感しているのかな、と思われる。
製品やサービスは手段でしかなく、それらが広まらないとその実現したい世界観に近づかないわけだけど、手段は随時修正していけばいい。

スマートではないのかもしれないし、もっと王道、多くの共感を得るものがあるのかもしれない。
ただ、少なくとも自分が発信しているものは心の底からそう思っていることを発信している。
たぶん、心の底からは思っていない、もっと多くの人が共感しそうなことを発信するより、
心の底から思っていることを発信する方が、本当の動きは出来てくるのだと。

前職では、仕事は面白かったし、鍛えられたし、充実していたと思うけど、今から思い返すと人の縁だな、と思えるものはほとんど出会っていなかった。
当然色々な人と仕事をしているし、優秀な人、面白い人、色々な繋がりがあった。
しかし、与えられた役割をこなす、与えられた縁だったためかもしれない。
もう少し分析すると、もしその人がいなくなっても、別の誰かがやってくるのである。
それが組織の組織たる所以なので、それ自体は致し方ないが、その人しかいなかった、と思えるものではなかったのではないかと。

今の縁は、自分が想い、自分が動いたからこそ発生した人の繋がり。自分が動きださなければ生まれてこなかった縁であり、
だからこそまさに縁だ、と思えるのかもしれない。

まだ前職を辞めて3年。弊社団もまだまだどうなっていくか分からないのは正直なところ。
これからも更なる縁が呼び込める人であるために、凹んでも前に向かって進んでいこう、と思う今。