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働き方と育児と社会


弊社団のClearWaterProjectでは、現在5名+1名のメンバーのうち3名は小さな子供がいるが、
その全員が保育園の送りや迎え、料理などもやっている。
当然朝来るのは9時半以降になるし、保育園迎えに行く場合は17時には帰る必要がある。
ちなみに全員男である。

さて、そのような働き方を前提に事業を組み立てているわけだが、これは起業する上で前提に置いていた
働き方である。

最近は正月でも百貨店等初売りバーゲンで2日から、早いところでは元旦から店を開けているが、売上を上げるという観点では本当に最悪の方法論だと思っている。
確かに1日多く開店すると、売り上げが1日分伸びる。他がやっていない分1日分以上の売上を確保できるかもしれない。
ただ、その会社の売上で言えばその新たに1日分開いた年度は売り上げがその分伸びるが、その次の年は売り上げを伸ばすのに
その技はもう使えない。それどころか前年度より売り上げが下がる可能性が高いのでやっぱり辞めた、と出来なくなる。さらに周りの店が同様に同じ日に店を開けてくると売上は落ちるかもしれない。
さらに言えばその地域の市場が年間10億円だとすれば、正月に開いていなければ他の時期に購入していたかもしれないものが正月に買われただけで、市場の先食いにしかなっていない可能性すらある。

時間は有限であり、その時間を延ばすことで売り上げを上げるという行為自体が長時間労働を増やすが長期的な売上は増やさない無駄なことになる可能性が高い。それも一度延ばした時間を縮めるのは売り上げ減少に直結しがちでより難しくなる。(実際は層ではない方法も出来る)

この長時間労働体質は、育児に使える時間を無くし、少子化に大きく貢献(?)することになっている。
夫が長時間労働で子供を迎えに行けないなら、妻が短時間勤務するしかなくなる。その妻の職場が長時間労働が普通の会社であれば短時間で働くものが疎まれ、本人も居づらくなり、結果専業主婦化やパートタイマーレベルの仕事にしかつけなくなる。
両親が近くに住んでいればそれでもどちらかに子供の面倒を見てもらう、という選択肢も可能だが(私が知っているインド人はまさに双方の両親に交代で見てもらい、夫妻は共働きしていた)、現在は特に東京一極集中=若手の労働力が東京へ=東京で結婚して子供=地方の親と東京(都市部)の核家族、といった形が容易に想像つく。
それがサラリーマンが増えたことによる高度成長期以後の日本の自然発生的な形であり、少子化の大きな要因である。

上記で言えば、働き方に関する少子化対策で一番良いのは両親が子供の面倒を見れる範囲で仕事に就くことであり、次点は夫妻が両方時間を融通しながら子供を見れること。
当然専業主婦(主夫)という選択肢も本人たちが望むなら当然良いと思うが、人口ボーナス期が終わり人口オーナス期に突入した日本で、安心して一人の収入で家計を賄えると思っている人たち自体が少ないだろう。

日本の安心・安定と発展のためには、つまりは長時間労働が当然である環境を出来る限り少なくし、限られた普通の勤務時間内を制約条件に生産効率を上げる方向に事業を最初から設計、作っていく必要がある、というのが持論である。

これはすでに長時間労働が標準化している既存企業で一般的な8時間枠内に戻す、ということは非常に難しい。
株式会社ワーク・ライフバランスの小室淑恵さんがやっていくように既存の会社を成果を下げずに時間を減らしていくことも出来るとは思うが、内部の人間だけだとそもそも働きまくって今の会社を築いてきた人々が偉い人々になっているのだから、過去の否定を早々は出来ない。
なら新しい会社で新しい働き方を制約条件・前提に事業を創りだしていければ結果日本のためにもなる。
そう考えている次第。

ちなみに個人的には自身の能力を上げるために24時間365日働き絶対的な能力をつけていく、という考えも肯定的であり、社会人なり立てで、過去人生でも限界を超えたことが無い人々はまずは本気で時間制約なく仕事に打ち込んだ方が良いとも思っている。イーロン・マスク氏も孫正義氏も完全人生仕事(まさに事に仕える)で、週100時間働くのが当然だと思っており、世界のトップを走っている人間は実際そんな人ばかりのイメージもある。
そこはもう個々人の価値観の選択なのではないか、と思っている。

少なくとも弊社団ではそのような考えから、長時間労働を前提にした事業運営はしていない。
(ただしやはりシステム開発となると一時的に長時間働くことも出てくる。これが続かないようにはコントロールしている)

ちなみに働き方はその他に職種・職務・業界によっても適応可能なものが異なり、レジ打ちにフレックス取られてもやはり困るが、システム開発(それも自社サービス開発)にシフトを組んで意味があるのは問合せ対応ぐらいである。
また、それがモチベーションにも繋がるため、それらを勘案し
・フルフレックスの勤務(完全裁量労働)
・週1のミーティングのみは時間合わせ顔を合わせる
・ミーティングや作業、役割分担などを出来る限り効率化
・リモート勤務が出来るような環境整備
・フルフレックスが出来る限り可能な事業収入の選択
を行っている。


顧客第一主義VS社会第一主義と、自分の好み


酒の席で、仕事へのモチベーションから、何に重きを置くのか、という話になり、
喩え話でトヨタや三菱系と、ホンダや京セラ・パナソニックなどの違いに思い至った。
あくまで上記は文化・傾向がある、という意味で個々人を見た時は多様であることはまず注意事項として。
また、一部企業は実際過去にお客様として担当させて頂いたこともある経験値からも感じること。

トヨタや三菱系等は、どちらかというと徹底的な顧客第一主義、ユーザーが求めるものを
作り出す手法が非常に磨かれていると思う。

一方で、ホンダや京セラ・パナソニックといった企業は、技術主義や、経営理念で有名だったりする。
本田宗一郎氏、稲盛和夫氏、松下幸之助氏。
最近の一代で築いてきたことも影響しているとは思うが、会社全体としてこういった社会が良いから
このような製品を作る、という理念主義的な傾向があると感じる。

双方、経営理念に明文化されている内容の延長線上なのだと思う。
トヨタ:http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/philosophy/
三菱重工:http://www.mhi.co.jp/company/vision/contents/index.html

ホンダ:http://www.honda.co.jp/philanthropy/rinen.html
京セラ:http://www.kyocera.co.jp/company/philosophy/index.html
パナソニック:http://panasonic.co.jp/company/philosophy/principle/

前者はオープン・公正明大、顧客、世界的。
後者は生活改善、文化、人間尊重や従業員の物心両面の幸福、文化の進展。
前者は顧客第一主義に、後者は社会自体の幸福や改善に重きを置いた考えになっているのだと考える。

その違いは、例えば医者が目の前に犯罪者の重病人がいた時に、治療を施すかどうか、という命題に近いかと。
前者は、誰であろうと病人であり、それを治すのは医者の役目であり、そのために全力を尽くす、という姿勢。
後者は、仕事人として目の前にいたら治しはするが、それ以前に犯罪者入院お断りにする、犯罪発生抑制に務める、等制約をつけて姿勢全体に理念の筋を通す、というイメージだと。

前者を有名な『顧客第一主義』とすると、後者は『社会第一主義』だろうか。

業界としてトップになりやすいのは、『顧客第一主義』に徹するトヨタや三菱系となり、
『社会第一主義』のホンダや京セラ、パナソニックは熱烈な支持者がいる一方で、業界1位にはなりづらいのかと。

ただ、一方で『顧客第一主義』的な行動は私個人としては最近危険を感じている。
当然人が求めるものを提供することが人にとっての幸せになり、企業業績にも好影響を与え、雇用も生まれいいのだが、現在の社会問題も実はすべてこの『顧客第一主義』、似た内容として「市場主義」により発生していると考えている。
この問題は経済学では「合成の無謬」という言葉で言われる。

社会上の問題としては
・顧客のために最も安い価格で提供できる努力をするが、顧客を向き過ぎることで作る側の下請け企業の製品を買い叩くことに繋がり、賃金下落圧力が強まる。その結果は発展途上国の1日十数時間労働で数百円の賃金、といった状況や、日本国内のデフレを招いた要因の中・低所得者層の賃金下落圧力にも繋がっている。
・女性の社会進出と少子化。顧客のために仕事第一で可能な限り働き、それを効率的に実施することを最優先することで人口の一極化(一つの場所に集まった方が生産効率高くなるため)=→親と離れて子育て環境整わず子供産めない や、プライベートの時間や弾力性ある働き方が出来ない=子育てする時間を取れないので産まない といったことに繋がり、子育てと社会での仕事の両立のどちらかを取らざるを得ない環境にある
・環境問題(大気汚染や水質汚濁、生態系破壊等)←個々人は車に乗る移動利便性、汚れがしっかり落ちる洗剤や、食べ残し、治水のためのダムや堰堤などなど、個々人の利便性を最大限追求した結果。
といったことが発生していると考えている。(個々人が直接的に意図してそれらを生み出しているわけではないためより厄介な社会的構造の根本要因)

上記『顧客第一主義』と『社会第一主義』の企業で、後者は上記問題に加担していない、とは言わないが、よりその問題を進めているのは前者の企業の考えだ、と感じてる。

社会には『社会第一主義』的な理念を掲げた株式会社より、 もう少し進めた 社会全体の人々の人生の豊かさとのバランスを取れる 『社会企業』 がこの資本主義の基本思想の中にもっと増える必要があるのではないか、と考えている。

だから自分の作った会社では持続可能性と考えられることを足元からでもやっていくようにしているし、メンバーの子持ち(男)は全員家事・子育てを両立して妻の社会での活躍を支えているし、非常に大きな自由裁量を任せているし、そのための運営をしている。


日本には非営利・社会的企業部門が必要になってきた1


自身は2013年から豊かな水辺環境と水辺文化を創造することを目的に事業を創りだしているが、
その活動の中で感じた、日本社会の大きな問題点。

その問題とは、「社会インフラ構築力がなくなってきた」こと。特にソフト面で。
そのポイントは
1.行政セクターが動けなくなってきたこと。
2.コミュニティ崩壊による自主的公助の消滅

社会インフラの指す言葉は広く、道路、港湾、空港、上下水道や電気・ガス、医療、消防・警察、行政サービス等多岐に渡るが、ここで言う「社会インフラ」は、主に教育、医療・介護、街設計、街づくりといった、
そのために個々人が支出しても即返ってこない、または成長・成果・影響を測るのが難しい分野のいわゆる「ソフト」の部分である。(交通インフラ、電気、電気通信等のハード面は整備状況が数値化しやすく、内閣府でもメインの検証の一つになっている。http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je13/h03_03.html

例えばそれらの「ソフト」部分の社会インフラは、人の動きに関わる部分で、主に教育や行政組織、選挙制度、規制といったものと考えている。

行政セクターは、新しいもの、実績がないものに関しては手を出したがらない(一部意欲的な人はいるが、組織として予算つけ、人をさき実施するかの意思決定は課長職以上であり、まわりの雰囲気にも左右されるため、全体としては行動しなくなる)。
理由は、
①評価制度:新しく取組すること自体を評価されない
②人事制度:3年程度で担当が強制的に変わるため、目新しい成果を出せない
③文化・風潮:「国民の血税」を武器に文句を言われると対応せざるをえず、そのようなクレームを発生させないためにもなるべく波風立たせたくない
③は、自身の記憶では80年代90年代に、行政が肥大化してきて不正や無駄も多くなり、マスコミが叩きはじめた。大阪市等に代表された2重3重の手当(制服手当や市営地下鉄のきちんと止めたら手当つく、等)や、官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件やタクシーチケットの話も合ったかと。そういった行政叩きが行き過ぎて、何をやっても市民国民から税金徴収しているのに何やっているんだ、という論調になり、今では市民国民からいかに批判が出ないようにするか、ということに苦心するようになっている。

例えばfixMyStreetという、地域の道路陥没や標識不備等の情報をスマホ等ネットで写真付きで問題点投稿すると、地図上にやっていることある(AQMAP(アクマップ)はそれの水辺版)。市民からすれば電話で口頭説明して正しく伝えるのが難しい、担当部署わからず色々電話することになる、報告したが対応結果わからない、といったことが解決されるし、行政側も全員で一度に情報共有して、どこの部署が対応した、と対応記録も残せるので明らかに対応効率上がりサービスも上がるのだが、とある県でそのような提案をしたところ、5人ぐらいいた参加者のうちの一人が「簡単に情報あげれるとクレームが多く上がることになる」「それが正しい情報だとどのように判断すればいいのか」との発言で議論が止まり、対案や安心材料だしても話が進まなくなった。
(ちなみにfixMyStreetは現在愛知県半田市が市として使い始めている。)
こんな話は日常茶飯事である。どこの行政いっても数人に一人はいる。

この結果、数値でそれも直近で判断出来ないような内容は無視され、確実に説明でき批判されない内容のみ実施されることになる。

例えばそれは、借入金増やしてでも予算配分増やして雇用を増やす・維持することであったり、0から創りだすリスク取る人材・自分で考える人材を創りだす教育がいつまでも手を出せないことであったり、私の関係している事業だと3面コンクリ張りの河川を多自然に改修するにも、コンクリの方が治水上安全だ、と総合治水の観点でなく目の前の壊れない設備を優先し、その声を出す市民に納得してもらう対話を避けることであったり、と色々な点で過去の反省や問題点を改善した新しい取組みが遅々として進まないことに繋がる。
一事が万事そのような環境だ、ということに社会全体の問題を感じてます。

2.コミュニティ崩壊による自主的公助の消滅 に関しては次回。。


「環境団体」「環境活動」に関わる人とは?仕事になる?


私が関わる分野だと、「環境団体」というカテゴリーで括られるNPO・公益法人、任意団体と関わることが良くあります。
みなさん、この「環境団体」という言葉でどのようなことを想起しますか?
メダカやホタル、聞いたことも無いような生物を復活させようという人たち?
ジュゴンやイルカ、シロクマやスマトラサイを守ろう、という団体?
グリーンピースやWWF、日本自然保護協会?
人より動物や自然を守ろうと、自分達に益の無いこと、お金にならないことを叫ぶ趣味な人たち?
人間活動の結果なんだからしょうがないことなのに何をがんばっているんだか?

私が感じているのは、世間の人の大部分(特に都市部)では
「自分達に関係ない」「行政の仕事」「自分の力でどうにか出来ない」「お金にならない」
という感覚でいるな、と思うことです。自分事ではないこと。直接利益を感じないこと。

一方で、いわゆる「環境団体」に関わっている方は、根幹には
静けさがあり爽やかな空気の森、色々な動植物がいて自然を感じれる山、昔夢中で学校帰りに友人と入ってカニや魚採って遊んだ川、広大で迫力ありつつ落ち着く海、といった金額換算は出来ないが間違えなく良いものだ、と思う感覚を持っていつつ、
近くや関係したところに積極的に行動する方がいて感化されて行動を共にしている、という人間関係性から参加している方が多いと感じます。

これらを整理すると

 ①自然環境自体への幸福度感覚×②人間関係性×③社会貢献欲求/④自己利益感

によって関わり度合が変わってくるのかな、と。
④が割り算なのは、自己利益感が高い=自身直接への損得勘定に敏感=直接メリット感じないものに関わらない傾向強い ということで、この点が低い方が環境団体への関わり度合強くなるからです。
これらその人の価値観によって多分に影響を受け、それはその人の生きてきた歴史によって形作られます。

海外事例は知らないのですが、日本では「環境団体」というと、多くは退職後のご年配の方で構成されています。
これは結局 
①→1950年代より前の高度成長期前時点で、自分の家の周りに遊べる自然環境が多く、それが幸福感の根幹をなしている
②→仕事も退職し、家族も成人して常時の関わりが減り、別の場所での人との関わりを欲している。
③→人生も3分の2を過ぎ、社会に対して何かを残していきたいと考える割合が多くなる
④→すでに今までの人生で色々経験し物欲的な面での効果が減っている。そして年金で生活出来るため日々の生活費のために行動する必要はない
という①②③がすべてにプラスになっているからだと考えます。

一方、例えば都市部20代までだと①は幼少時の身近には自然なく、家でゲームや本読んだり等で自然の良さを感じる機会は親次第、②は学校や企業等職で、かつ最近だとネットで自身の趣味性に合う人たちで集まりやすくなっている。
20代後半から50代は①は上記に近く、②も基本は十分にあり、④はシビアに生活を背負う世代としてお金の稼げない(と思える)ものに時間を使いずらい。
ただし特に小さい子供持つ親や、東日本大震災やすでにモノあふれの時代に育った若者は③への意欲が高い、という点もある。

私は、近所で自然があり遊べる環境は幸福感と成長に大きく寄与する重要な社会インフラ要因だと思っています。(成長に関しては別途)。別にすべて人口の手を入れていない自然に戻せ、と言いたいわけではないです。(ただ人工的・科学的見地は一方からのメリット追求して、多面的な要素でのメリットを考慮出来ていないことが多々ある、と思っていますが。)
そしてそうするためには、社会的に自然資本インフラ整備の重要性認識を高め、職として成り立たせる必要がある、と考えています。
CWPはそういう考えを体現しようとしている方法の一つとしてやってます。(もしご興味あれば是非ご連絡を。