地方にリーダーがいない?


川や海の環境をよくする、という話になると、それらを資源として考えていて、過疎化進んで活気がない市区町村等で地方活性化に使えないか、という話が出てきてよく繋いでもらう。
ただ、そこで思うのは、本気でその地を良くしたいと思っていろいろ投げ打ってでもやってやる、というリーダーがいないな、ということ。

1)地方は今まで人が出て行くばかり
2)関わりの中で感じること
3)実際に成功している地域は?
4)地方・地域にこそリーダーが必要

1)地方は今まで人が出て行くばかり

私は愛知県名古屋市に住んでいて、実際いわゆる「田舎」に住んだことはないけど、今の仕事柄その「田舎」に行くことも多々出てきた。
そこで、特に行政関係者との話で出てくるのは「人が出て行って過疎化がひどい」「人が住んでいない家で、お盆の時だけ使うので人には貸さない。でもそういうところが増えている。人が減っている」「うちの地域に活気呼び込むにはどうすればいいと思うか」という話。
私は大阪→東京→名古屋 と住んでいるため、自然なところで住みたいと思うぐらいだが、実際そこに住むまではいかない。仕事がやりにくいのもある(ITは規模大きいほど役立つものなので、都市部に仕事が多くなる。地方だとHP作成、ECサイトがほとんどすべてともいえる)が、嫁がど田舎には住めない、という話も大きい。
曰く、女性であれば「地方だと買い物する場所が無い」とのこと。やはり買い物は多くの女性が心躍るものらしい。実際同じ場所に住んでいて、1年での変化も少なければ変化がある街に出たいと思うだろう。
また、地方に住んでも何もなく暇そうでやだ、という話もよくある。東京に住んでいる人だと「東京以外の暮らしとかありえない」という人もいる。

斯くして、地方に住むには
・仕事が無い
・活気、魅力が無い
・不便そう
という話で人が出ていく、帰ってこない、となる。

そもそも岐阜や三重の山手のところにいけば、高校が通えるところにないから高校から下宿するしかない、というところも多々ある。(鹿児島や沖縄の離島もそういうところは多々あり)。最近では高校までは義務教育みたいなものになっているので、必ず外に出て行ってしまう仕組みでもある。

2)関わりの中で感じること

そういう話を諸所で聞くが、実際ではどうにかしようとしているか、というと、本気でその地域のため行動までしている人は少ない、と感じる。
私が行った先では、たとえば飛騨古川や郡上は東京からのIターン組を捕まえ、呼び込み施策に奔走してもらっており、その人たちも本気でこの地域をどうにかしようと思っているし、恵那市串原にはその地域出身者でどうにかしようと行動起こしている人たちもいる。
ただ多くは地元民が一緒でないんだよな。たぶんどのようなことをすれば外部(他地域)から人が流れてくるのか、そもそも外部の人を呼んでまで地域を盛り上げること自体に疑問持っている人たちも多いのだと思う。

3)実際に成功している地域は?

転じて人を呼び込めるぐらいに成功している地域は、たとえば、知人の友人で、岐阜の荘川に宿をやるため仕事を辞めて行った人がいる。その人は蕎麦打ちが高じて3年後には宿を辞めて蕎麦屋をやり始めるのだが、その蕎麦が非常に美味いと県外からも人が来るぐらいに有名になった。それを荘川町の役場も見逃さず、その蕎麦屋の蕎麦を周りにも伝えてほしいとの話で、その人は快く引き受け、蕎麦作りを教えて、今では荘川そばとブランディングされているぐらいになっている。荘川そばは一人の人から始まっている。

後有名な話では、黒川温泉の後藤哲也氏の話。黒川温泉は個人的には湯布院よりもいい温泉町だと思う。テーマ性・統一感がしっかりしており、ディズニーレベルの統一感を感じる。
wikipediaの情報を転記すると「当時24歳の後藤は裏山にノミ1本で洞窟を掘り始めた。「風呂に魅力がなければ客は来ない」と考えていた後藤は3年半の歳月をかけ、間口2m、奥行き30mの洞窟を完成させ、そこへ温泉を引き洞窟風呂として客に提供した。さらに、後藤は裏山から何の変哲もない多くの雑木を運び入れ、あるがままの自然を感じさせる露天風呂を造った。他の旅館の経営者が後藤の教えに倣って露天風呂を造ってみたところ、噂を聞いた女性客が続々と訪れだしたため、後藤を奇人変人扱いし白眼視していた他の経営者たちも彼を師匠と仰ぎ、そのノウハウを請い、実践に移した。」
これも黒川温泉の飛躍期までに3年はかかっている。

最近有名になり始めた地方も詳細聞いているわけではないけど、結局本気でこういうのがイイんだ!と周りの声だけの人々を無視し(自分によくわからない自信があったものと思われる)、作り続けたものが他にない名物になって人を呼び寄せているのだと。

4)地方・地域にこそリーダーが必要

リーダーは、自分のやろうとしていることに正直に、心底信じて進んでいけること。進んでいる間のお金は無いものと思っているのだと思う。(3)の話では、そば作ったり温泉洞窟掘ったりする間は現在の事業には時間使えないわけで、稼げる目の前のお金は無視してやってきたのだと思う)

孫正義は「新しい挑戦をする時は、3割くらいの財産は捨てても良いという覚悟が必要だ。」と言っている。
それだけの覚悟をもって取り組む人がいれば一人が二人になり、四人になり、どんどん増えていく。

そして、3)の二人とも、また他でもリーダーは自分のノウハウを惜しげもなく公開している。それが全体のパイを増やすことになり結果売り上げにも繋がっている。でも本人たちはそこまで考えてノウハウ公開しているわけではないかもしれない。多分ノウハウ出しても自分はもっといいもの作れると思っている、とか、もっと本質的にはそれがみんなの役に立つんだったらいいよ、という心だと思う。

個人的な経験としても、ある地域で水辺の浄化してその周辺公園を活用した文化拠点にしたい!とその地域の理事長に話持ちかけられ、乗ってみて色々動いていると、そのうちその理事長に連絡取れなくなった。周りに話伺うと、その団体の総会で、うちでやる必要ないのでは、と言われやる気無くしていたそうな。梯子をはずされた形である。私が単なる雇われ、または依頼されている人だったら、その上がやる気なくしているんでしょうがない、で辞めるけど、その話は個人的に実現しようと思ったから受けた話のため、別のルートから現在地ならしをしていって続けている。
こういった話はたぶん地域・組織関わらず世の中あらゆるところに転がっており、人から何か言われても、考慮しつつも適度に無視して、最終的に実現させるまで諦めない人でなければ結果を出せないのだろう、と思う。それこそ先頭を進み「リード」する人=リーダーなのだと。

最後に、結局地元を良くしようと思う人は地元に住んでいる人しかいない。外部に住んでいる人は後押しにはなるけど、地元で核になる人材が必要。たぶんそういうが東京や大阪等大都市で経験積んできたUターン者やIターン者が多いのでないかな、と感じる次第。結局大体は「よそ者、わか者、ばか者」なのだろう。(よそ者、は他を知っている枠の広い人、という点に価値あるので、それと同様のものをずっと同じところに住んでいても持っているならそれはいいのだと思う。ただ百聞は一見にしかず)


寄付はビジネスに役立つ?


これは名古屋の外人社長が話したことを聞いた知人からの又聞きだが、なるほどな、と思ったこと。

知人はアフリカ等水不足のところに水を供給できる設備を提供するようなNPOにいて、そこで
ファンドレイザーとして資金集めに関わっているのだが、そのNPOのチャリティーパーティーには
以前からその名古屋の外人社長が関わっているとのこと。

その人になぜ寄付してくれるのか、といった旨を聞いてみると
「寄付はビジネスにも役立っている」
という話。
何がなのかと聞くと、「寄付は自分から進んで相手に貢献する行為。それが自然に行うようになると、ビジネスでもまずは自分から相手に貢献するために動くようになる。そうすると不思議なもので色々なビジネスに繋がって、結果ビジネスを拡大していけている。他の要素もあるだろうが、一つ大きなポイントなのだと思う」とのこと。

これは返報性の法則と言われるもので、自身でも経験あり。
ただ、これの注意点は「何かお返し返ってきてほしい」と思ってやると、それが相手にも伝わって何かの見返りにやってくれているんだ、と思われ、下心ある行動ならほっておこう、という気持ちが強まることにも。
見返りほしいなら見返りを求めてはいけない、という哲学的な話。
キリスト教の「与えよ、さらば与えられん」等数多くある話。ゴルフの「ホールに入れたいなら、入れたいと思ってはいけない」というのにも近い!?(それは違うか。)

そういった心を鍛えるなら、見返りを求めない「寄付」という行動は適した行動なんだろうな、と感じる次第。