日本の盛衰が40年周期なのは何故か?


日本が明治維新以降40年周期で盛衰を繰り返している、という話を半藤一利氏の本を読んだときに見た記憶がある。

1868年、明治が始まる。
1905年、日露戦争に勝利。
1945年、太平洋戦争終結。日本敗戦。
1990年、バブル崩壊。
そして現在2022年。2010年ごろは失われた20年と言われ、今は失われた30年と言われる。

1868年から1905年までで37年、
1905年から1945年まで40年、
1945年から1990年まで45年、
1990年から2022年で現在32年目。

確かに大体40年ぐらいになっている。そうなると、次なるカタルシスが起こるのは2020年代か30年代か。

何故このような流れが出来ているのだろう。
他国は調査したことはないのでわからないけど、日本に住む身として、個人的には必然性があり、理由があると考えている。

それは、40年は2世代1回りであること。

例えば、1830年頃に生まれた人は、明治維新頃には40歳前後。明治維新の最も中心人物だ。大久保利通(以下人物の敬称略)は1830年生まれ、西郷隆盛は1828年生まれ。
また、1850年に生まれた人は、 20歳の多感な時期が1870年ごろとなり、江戸から明治政府に代わる大転換期を過ごしている。
日本が変わらなければ、欧米に侵略され奴隷国家にやつすことになる危機感を隣国中国を見て感じて育った世代。
その人たちは1900年頃には50歳と、意思決定の中核にいる油の乗った世代であり、日露戦争を勝利に導いた世代でもある。

一方、1870年に生まれた人は、同様に20歳が1890年、50歳には1920年。
もう少し遅く1890年に生まれた人は、 20歳が1910年、50歳には1940年。
多感な時期に明治が盛り上がり色々なものが変化し、今までと文明が大きく変わり、アジアの端の小国が大国ロシアに勝ちすごい国で自分たちはすごいんだ、と思うようになる。
この時期を経験した人が、意思決定者となる年齢時期が朝鮮・中国侵略、日中戦争、太平洋戦争を担っている。

日本の高度成長期も、50歳ぐらいが一番油のっていて中心人物としておくと、1910年~30年ぐらいの生まれの人があたる。ソニーの森田昭夫は1921年、京セラの稲森和夫は1932年生まれ。田中角栄は1918年。
当然松下幸之助さんは1894年生まれだったり、色々名前が出ていない多数の素晴らしい方がいる。

現在の2022年。日本の今の意思決定中心は高齢化で60歳ぐらいとすると、60年前だと1962年。20歳では1982年と日本経済最高潮に近い時期。その人たちが今の日本社会の意思決定者の中心にいる。


つまり言いたいのは、成功・繁栄の時代を生まれ育った人達の集団が、成功体験のバイアスにかかり、時代が変わっているのにその時代にあった意思決定、判断が出来ていないのでは、という仮説である。
逆に、逆境・衰退の時代を生まれ育った人は、非常に優れたバランスで良い意思決定、判断をしているのではないか。

個々人を見ると、繁栄の年代に含まれていても素晴らしい人もいるし、衰退の年代に含まれていてもダメだなと思う人もいる。

ただ、社会は多くの意思決定の集合であり、様々な場所で様々な意思決定が間違えている、もしくはなされていないと、結果国全体はダメな方向に向かっていくのだろう、と。

例えば、経営面で昭和感ということで、終身雇用、年功序列、努力、根性、空気を読む、等。制服で統一感等もそうかもしれない。これらは当てはまる条件もあるが、当てはまらない条件(職種や事業)もあるし、努力や根性は成功の方向性であれば非常に重要だが、かける方向を間違えていると努力は徒労に終わり失望になる。
ただ、高度経済成長時代があまりにも上手くいきすぎていたため、そのバイアスからなかなか外れれないのだろう。(冷静に分析すると、単に人口ボーナスだっただけの可能性も高いのだが)。

後、最近感じるのは過去から日本社会の様々なところに、合意形成タイプのマネジメントで、シビアな判断時に的確に動かせるマネジメント制度になっていないのでは、と思う部分である。

最近、内水面漁業(川や湖の魚獲ったり、釣りしたりの分野)は30年近く右肩下がりで人口減少より早いスピードで衰退中なのだが、つりチケを5年以上運営展開し、様々な漁協のヒアリングやデータ分析をした関係で、内水面の法制度を含めた行政部分の改革をしない限り、現制度での改善には未来は無い、とほぼ確信したのだが、何故この状況になっているかを考えていったところ、この法制度というインフラを根本的に変えるための主幹役割がどこにもないことに気づいたわけで。
水産庁は立法府ではなく、研究所はあくまで提言ベース。漁協の許認可は都道府県知事管轄だが、その元になっているのは国管轄。法制度変更を訴える主体は漁協・漁連だが生活のかかった関りではないためめんどくさいことは話が進まず。それらの法制度を支える議員はあくまで漁協・漁連の要望があれば。
どこも法制度変更の草案を作る組織もなく、変更するために判断意思決定する権限のある機関もない。

そのため、草案を作り、合意形成をするための根回しをするための活動を出来る組織が必要である、という点にこの法制度改革をすべき結論に行きついて活動し始めてから気づいた次第。
日本的シンクタンクというべきなのかと。(世界各国のシンクタンクはこの根回し部分の役割はどうなっているんだろう)

多分、日本の様々な分野で、同様のことが起こっていると思われる。林業、海の漁業、土木や建築、医療や運輸等もそうかもしれない。(比較的経済成長が見込まれる部分は改革されてきているかもしれないが。)

40年周期の話に戻るが、結論として
①盛衰それぞれの時代に多感な時期を過ごした人々が意思決定層になった時代と重なる
②意思決定出来る制度を持っておらず、合意形成型意思決定機関だらけだからこそ、集団の意思決定力に時代が左右されている
ということかと思っている。

そういう意味では、個人的には2020年代から30年代前半に何かしら落ち込み切ったカタルシスが起こるのではないかと思っている。(アベノミクスの日銀量的緩和を行ったことで後に引けなくなっていると思うので、その結果の国債未消化によるデフォルトが2020年代に起こる可能性あるぐらいに針が進んだのではないかな、と予想)。

そういう意味では先行き悲観論だが、実際個人として悲観しているわけではなく、一度ドンガラガッシャンになった方が、前向くしかなくなって0ベースで色々な改革がなされるのではないかと思っている。
日本自体を全体前に向かせるには、そういう危機がある意味一番手っ取り早いのではないか、と。
それに備えて皆個々人ベースで力をつけていくべきだと思うし、生きる力を養うべきだと思っている。
(その状況になった時に弱者がこぼれ落ちるので、本当はそれになる前に大改革して弱者もすくい取れる社会的体力を回復させるべきだとは思ってはいる)


採算意識を持つ


この市場経済の世の中、生活するにはお金がかかる。住居、衣類、食、水道光熱費、車の所有、移動費、医療費、子育て教育費、保険、飲食、旅行、等等々。それらは給与が賄っている。その給与は、仕事として得た報酬から払われている。

完全自給自足で、移動も歩き以外使わないような生活でもしない限り、必ず個人にとって収入は必要になる。

個人の収入は、何かしらの所属している組織から給与として払われることが一般的である。そうでなければ、仕事単位で契約をして、仕事の結果として報酬を受け取るパターンになる。

ここで、自身の労働の対価として組織が給与を「支払ってくれている」と思うと、組織に従属し、組織の命に従う意識になる。その意識が極まると、実質的には組織の奴隷(組織に所有されている)と変わらなくなる。

意識を変えて、自身が組織の収益を作っている、支えている、と考えれるようになると、個人が組織を生かしていることになる。決定権が自身になる。自分の人生になる。

その結果の一つとして、フリーランス・個人事業主として生きていくのも良いが、「チームとして」の項にも記載の通り、組織でいることのメリットを感じているから一緒に働いているはずである。そうであれば、組織を生かす個人であるべきである。

その為には、自分の働きがどの程度の価値を提供しているのか、どの程度の収支に貢献しているのか、常に意識していく必要がある。

経営の基本は 収入 - 支出 = 利益 である。 支出の中に、個人の人件費=給与、も含まれる。 利益が残らなければ、投資が出来ず、投資が出来なければその組織に収益を生み出す資本(個々人の知的資本も含む)を残せず、時間当たり収入を増やせず、支出=給与も増やすことが出来ない。

一人ひとり、チーム単位、がそれぞれ採算を良くしていけば、組織全体として採算が良くなる。

自身にとっては、まず自分の時間がどの程度の価値を持っているか認識し、その価値を超える付加価値を所属する組織に提供することを意識する必要がある。

一般的に大卒の初任給は月約20万円。賞与や会社負担の社会保険等も含めると約30万円はかかる。月の稼働日を平均20日とすれば1日あたり1.5万円。1日8時間勤務で時間単価1,875円。10分単価だと312.5円である。何もしなくてもそのお金が給与として支払われている。ただ、組織の収入が無くなれば、その給与も払えなくなる。

実際のところは、そこに事務所賃貸費や水道光熱費、給与支払の計算振込処理等の間接費が必ずかかってくるため、実際は自分の給与よりもさらに時間単価は高くなる。

もし1時間をゆっくり過ごしたいのであれば、反対に他の7時間で1日分以上の価値を出さなければ、組織は成り立たたず、給与も払えなくなる。

極端なこと言えば、1か月の1日で20日分の価値もしくはそれに類する収入を出してくれても良い。

ただ、いずれにしろ一人ひとりがその価値を常に意識し、それ以上に価値を出すことが必要になる。

その意識を持ってもらいやすくするために、自己給与決定制度を設けている。今までより価値が上がった、価値をより提供出来ていると判断したら給与を上げてもらえば良いし、給与を上げるために収入をより多く、支出を少なくしていってもらえば良い。

CWP/creatoでは、事業部・チーム別、サービス別採算のデータを月次単位で出している。単純な自身の明確な数字採算が出せれば良いが、チームメンバーへの影響度やスキルアップ、円滑に動けるように手配することで大きなまとまった仕事を得て一人当たり売上の大きな仕事が出来るようにすること、等も価値であり、個々人、チームの結果として採算を良くすることで、結果として組織全体の採算が良くなる。

<<行動例>>

・売上と支出の数字を常に意識し、具体的に把握する。例えば、自分の給与から具体的に自分の1時間当たりコストを算出してみる。(会社負担分も含めると年間給与・賞与収入総額の1.2倍ぐらいが人件費、かつ組織で必要な収入のうち人件費率を7割で設定したとすると 個人年間収入×1.2×(10/7) が自身の年間コスト。それを時間単位に割ってみると1時間の価値を実感出来る)

・物の値段に興味を持って、知る。例えば仕事で使っているソフトはいくらか。それを人数単位で割ると月いくらの費用のものか。

・お金に換算が難しいものを、どのような価値を将来的にもたらすのかを想定してみる。


変化を取り込む、恐れない、許容する


社会が急激に変わっている、とはよく言われる。
個人の安定という意味では、職種に固執しなければいけなくなるのは危険でさえある。

産業革命以降、刀鍛冶は武士の世でなくなった後、急激に職が減っただろう。
馬の鞍や馬車を作っていた人は、車が出てきてから数十年で一気に職が減っていっただろう。

最近でさえ、固定電話は直近30年で携帯に取って変わられたし、日本で言えば裁縫は単価の安い発展途上の国に。受付は受付電話に。これからはエンジン自動車も電気自動車に代わっていこうとしているし、バス・タクシー・トラック運転手は自動運転にとってかわられる可能性が高い。

CWPで関わる内水面の釣り業界でも、鮎釣りは平均年齢が60歳を超えていて、右肩下がりで業界的に鮎はオワコンみたいな雰囲気がある(これに関しては違う見方持っているけど、それは別途)。
40年持たないと、自分の職を変えずに済む、ということが出来ないが、それが進化スピードが速くなってしまい望むことが出来ない分野が多くなっている。
それどころか、もう40年務めたら年金で、という世界さえ望めなくなるかもしれない。(多分そうなるけど)

このような世界では、逆に変わることが当たり前だと思って、それに対応出来る心と能力をつけておいた方が逆に心理的に安全だと言える。
現代社会のサバイバル能力。

原始時代は、狩りがうまくいなかければ食えなかったし、自然界ではそれが当たり前。
現代社会も、食うために必要な能力が変わり複雑化しただけで、その本質は変わっていない。
変わることを楽しみ、成長することを楽しむ。

以下は社内のフィロソフィ文面。
——

<<解説>> 
 人は変化を恐れる。コンフォートゾーンという言葉があるが、そこから抜け出すのを嫌がる性質を持っている。しかし、居心地のいい場所に留まり保守的になると、いざ変わらないといけない場合に心理的・身体的・環境的に大きな負荷になる。

 社会は急激に変化している。
 例えば、江戸時代の1700年~1800年の100年で考えると、人々の生活や仕事は大きくは変わらず、山では斧やノコギリで木を伐り、農地では草木や魚や牛糞等で肥料にしてちょっとした道具で作り、町での商売は紙の帳簿とそろばんと通貨でやり取りされる。

 ただ、2020年現在より前50年ぐらいを振り返った時に、50年前と違い、世界全土インターネットで繋がり情報が瞬時に個々人で共有され、携帯電話→スマートフォンと変わっていつでもどこでも電話し情報を手にし発信できる。ネット通信で遠隔地の鉱山を重機で無人操縦出来るようになり、youtuberが職業になる。終身雇用だと言われていたモデルが50年程度で無くなっていき、最高30℃ちょっとだった夏が今では40℃弱が通常になり、世界各地に100年に一度級の異常気象が頻発する温暖化になっていて、もうすぐ車の自動運転や遺伝子操作による治療も出てくる。
 資本主義とITが組み合わさり、お金が瞬時に動くことで技術革新が進み急速に世の中が変わってきている。

 変化が日常化する中で、個々人出来ることは、変化することが当たり前だと捉え、自身の経験や今のスキルに固執せず、徐々に自身も変化適応し、本質的な力とそれを支える心を身につけていくことである。
 
 弊社も、同様に変化が当たり前の組織を前提にしている。明確な組織図は作らず、役職も必要なように変化する。少しずつの変化により、結果として社会に適応し続ける。

 変化は日常と共にある。

 
<<行動例>> 
・新しい話や技術を、少しでも時間を確保して試してみる。それぞれに含まれる要素を抽出して自分のものにしていく。
・自分の役割を決めつけて固定化しない。好奇心と直感も動員し、できる幅を拡げていく。
・やりたいことがあれば、長期的な目的として決めて、いつまでに何をしていくか決めて、1日、10分単位でもいいので行動してみる。
・必要性があると思えば、新しいことをどんどん提案してみる、やってみる。
・自分の担っている役割を引きはがすのであれば、他に引き継げる人を探す、採用する。無くなってもそんなに困らない仕事はその機会に引き継がずに無くしてしまう、システム化してしまう。


CWPフィロソフィを作りました


社内での共通価値観を定義するため、CWPフィロソフィを作った。
検討委員会を立ち上げ、複数回の議論の中でブラッシュアップしていったもの。

メンバーにはこれは最低限持ってほしい、というもので、CWPとcreatoメンバーはどのような職種でも持っておくべき基本価値観を厳選した。
社内的には、詳細説明分があるが、それとは別にリンクをつけて、自分なりの言葉でかける分を書いていく予定。

今後増えていくこともあるかもしれないが、徐々に決めていきたい。

§1 人として
1.夢を考えてみよう
2.感謝
3.誠実
4.ポジティブ思考
5.「私じゃない」から一歩進む
6.変化を取り込む
7.能動的に行動せよ
8.人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力

§2 チームとして
1.会社・チームを強いコミュニティに
2.心理的安全性を確保する
3.率先垂範
4.周りの人も大切にする
5.自ら成長しようとするものを助ける
6.未来のために時間を使う
7.本音でぶつかる

§3 プロとして
1.自主・自立
2.なぜなぜ思考
3.プロフェッショナリズム ~1mmにこだわれ~
4.ゼロベースで思考する
5.良いプライド、悪いプライド
6.成果を出し、貢献することに注力する
7.過去にとらわれず未来に目を向ける
8.批判よりも提案を
9.共感の輪を広げられる者となれ
10.やり抜く力
11.採算意識


(特に行政において)人事ローテーション制度を変える必要がある。


日本の、特に行政機関において、人事ローテーションの特に2~3年での転向による弊害が至るところで出ていると感じている。個人的には、これは実は今の日本の様々なことの右肩下がりの現状日本の大きな問題の一つだとさえ思っている。

人事ローテーション自体は
〇幅広い現場経験による全体統括視点を得る
〇同一部署による業務マンネリ化により発生しがちなモチベーション低下を防ぐ
〇人=権限の固定化による不正/腐敗対策
といった価値がある。

ただ、一方で
▲3年程度では満足な成果を出せない、出したとしても、後に続く人が同じ方向性で成果を出し続けてくれるとは限らない(特に人事ローテーションとして実施されている場合はそこの現状を分からず人事部門が決めているため)
▲3年という期間だと、腰掛で問題を起こさず無難に過ごせる期間であり、現状維持バイアスがよりかかる
といった問題を抱える。

この点、良く考えてみると、〇の3つ目は不正防止で色合いが異なるが、1つ目2つ目は実は人の育成・マネジメントの観点で行われている。

一方で、▲は、アウトプットに関わる問題である。

この点を考えたのは、例えば学校の教員(小学校~高校)は7~10年ぐらい1つの学校でいるが、教頭や校長は3年で転勤していくことになっている。
リーダーの影響力は非常に大きく、やはりトップが右と言ったら個々人で想いは違ったり面従腹背はありつつも、基本は右に方向が徐々に進んでいく。
このリーダー・マネジメント層が数年で変わることが、変革が必要な今のタイミングに全く合っていないの。

企業の創業者が大きな企業を作っていく、偉大なことをしていくことに、当然その人が人に出来ないリスクをとり、新しいことを覚悟もって成し遂げてきたこともあるが、10年以上というスパンで経営を続けていけることも非常に大きい。
『ビジョナリー・カンパニー』でも書かれているが、特に人が関わることは「弾み車の概念」が当てはまる。

巨大で重い弾み車(手押し車でも良い)を思い浮かべる。
すごい頑張って押し続けると、1cm動く。続けると2cm,3cm,5cm,10cmと徐々にスピードを上げて進み、ある一定のスピードが乗ってくるとその重み自身で押さなくても進み続けるようになる。(どの程度の力が必要かは地面の摩擦状況にもよる)

同じ力を加え続けても、はたから見ると最初は少しずつしか動かない。それによって人は何も変わっていないと思うかもしれない。
続けると、人が認識できるほど動きが出てきて、これは動かせるんだ、もっと動かそう、と思ってくれるが、実はその段階に来た時にはすでに結構な力を加えてきた後だったりする。

物事を動かしていくのはこの弾み車のごとし。
そのスパンが、大体3~4年で一つ、動いたねと感じてもらえるぐらいの成果を出せる一般的な期間だと感じる。(これを首相のように人に選ばれたリーダーが3年でうまくやるには、3か月、半年、1年で短期で成果を出せることを並行で実施することで、うまく弾み車を動かせるリーダーだと思ってもらうしか無い。)

話を戻して、結局特にリーダー・マネジメント層のように成果にフォーカスし、成果で評価される層は特に、3年といったスパンで終わる前提の制度では成果を出し切れずに終わってしまうのだ。

一方で、ただ長く、例えば4年~5年を1スパンで、2スパン以上続けられる制度にしたとしても、その人がやる気のない人、ただ無難に過ごす人であれば無為の年を過ごすことになる。

以上より、制度として適切な方法としては以下のような設計だと考える。
・リーダー/マネジメント層等、特に新たな成果を求めるポジションには3年ローテーションはダメ。少なくとも4年~5年1スパンで、2スパン以上続けられるような制度が必要。それは本人の意志と、周囲の支持両方が必要。周囲は、出来る限り利害関係のある集団による支持が望ましい(民主主義的対応)。
・一方で、2年に1回、これは利害関係者ではなく、部下に評価され、全体の2/3が継続反対したらそこで任期終了(部下を適切にマネジメント出来ない人のため。ただし、改革には反対がつきもののため、全員反対でなく1/3でも支持されるのであれば必要だと思われていると考える。

一方で、不正・腐敗対策として愛知県人事局の方が以前回答してくれたが、
・ 許認可関係事務、契約関係事務、経理関係事務等権限を有する事務に従事している職員は、極力、4年を限度として異動を行う。
といった、権限を振りかざせるがリーダー/マネジメント層ではない事務方はローテーション人事を当てはめる、というのが適正だと考える。

日本の問題は色々あるけど、秘孔の如く重要ポイントがあると考えており、適切なめぐり方をさせるために、適切な人に適切にマネジメントしてもらう、というのが一つ大きく必要な点だと考える。

ただ、ここを変えられるのは政治家だけで、政治家は組織マネジメントをしてきた人が少ないから、この点の重要性をあまり認識していないんだよな、たぶん。


令和元年台風19号を機に考える


小さな自然再生等お世話になっている岐阜大原田先生の今回の台風・治水の考察です。

ちょっと難しい内容も多いかもですが。
上記内容抽出と自分の思っていることで言えば、

・温暖化は海水温を上昇させ、台風のエネルギーは水蒸気量と≒なので今後も今回の台風以上の規模がこれまで以上の頻度で来る可能性が高い

・報道されているだけで144河川(国管理24,都道府県管理118)で氾濫,うち堤防が決壊したのは6県21河川24箇所。半端ない数。

・同一地域、流域に長いこと大量の雨が一気に降った。場所が変われば異なる地域の河川の氾濫、決壊も当然発生。どこでも起こりうる天災と認識しておく必要がある。

・ダムも治水機能を担っていて、ダム貯水量より多くない量の流れ込みであれば確かに役に立っている(例えば民主党政権時に有名になった八ッ場ダムは10月からの湛水試験により今回その治水機能を果たしているのは確か)。一方、貯水量以上の水がその上流から来たら後は同量を下流に流すしかない(緊急放流のこと)。
他ダムの利水機能として発電、農業用水が主な利用用途ですが、方向性としては①ダムの巨大化 ②総合治水 のどちらかの方向性。 今の自民党政権だと①の方向を進めそうでCWPとしてダムの負の面(特に生物環境と水質に対し)を見てきているため、その方向はいやだなー、と。。

・今後も今回の台風レベル以上が今まで以上に来る可能性があり、日本の河川延長が1万kmを余裕で越えているため、すべての堤防のかさ上げ+ダム建設 は国家財政足りず(さらに作った以上をさらに越えてくる可能性も。)。


実は国交省研究機関の国土技術政策総合研究所の偉い人レベルでも、5年以上前から上記理由に「防災」から「減災」に舵を切るしかない旨話されていて(もっと前からかもですが。私が以前出席した某セミナーでその話をしていました)、同時期天竜川河川事務所の所長も別セミナー「自分の身は自分で守るしかない」とソフト面対策意識啓蒙に向かっていました。今回の台風前の報道でもかなり自分で自分の身を守ろう的発信でしたが、ようやく社会的にもそこが一般的になってきた様子。

個々人で言えば、ハザードマップで治水上危ない地域は住居に選ばない、という方法しかないでしょうね。(これを機に水害可能性地域の地価が全国より下がる方向に進むだろうと思われる。)
一方で、河・水の危険性がさらに誇張されて近づけない、近づかない河川になっていきそうでそこは心配かつ残念。
反対に防災意識としての河川環境教育という切り口はニーズが増えるのかもしれない。


自主自立- CWP,creatoにおける基本指針



『自主自立』
一社)ClearWaterProject, (株)creato(クリート)においてベースとなる考えである。

「ティール組織」では、「自主経営(セルフマネジメント)」という言葉を使っているが、それとほとんど同じ考えのように思う。

これは瀬川個人としての価値観でもあるわけだが、そもそもに
・自分なりの視点/考えを持たない人は、話をしていても面白くない
・人に心理的な依存をしている人は、苦手である(そこまで強い感情ではないが)
という感覚がある。

何故そう思うのかと自分の感覚を追ってみると、
・自分の考えで話していないと、話の内容が薄く、聞いていて新たな視点発見もなく、面白くない
・依存する人を抱えるのはめんどくさい。さらに言えば何かあったときにこちらのせいにされるリスクがあり重い。
といったことを感じるから。

それの反対が『自主自立』。
これを基軸にすることで、
・『自主自立』=自分で考え、自分で判断し行動する、という繰り返しが自信を深め、本当の血肉となる経験となり、結果成果を出す人になる
・『自主自立』=頼られる、仕事が出来ると認知される人で生きていける(本当に無人島でサバイバル出来る人もその類に入る)ため、最悪自社が潰れてもその人たちは生きていけるだろう、という意味ではメンバーの根本的なリスクヘッジになる
・『自主自立』=頼られるだけのプロフェッショナルな能力、専門性を持つ様々な人が集まることで、それらを組み合わせて外部に対して今までにない新しい価値を提供できる。
・『自主自立』=裁量権が大きく仕事を自分で考え回していけることが、仕事においてのやりがいの大きな要素になる。
と、結果としてメンバー個人としても組織としても幸せに発展していけるだろう、と考えている。

組織づくりの指針にしている会社の一つにブラジルのセムコ社があるが、そこは「社員を大人として扱う」というのが一つの基本方針になっており、これに強く賛同する。弊社団でもメンバーを「自立した一個人の大人」として見ることを前提に多くの制度も組み立てている。

『自主自立』を構成する要素を抽出すると、最低以下はポイントになると考える。
①本質を考える(なぜなぜ)
②自責(他責にしない)
③成長意欲
④ポジティブシンキング
各項目内容はまた別記事で記載していくが、これらの項目がキャッチ画像の関係図のように関連して『自主自立』した人材を形成しているのだと考えている。


毎日の行動が大きな成果の差に繋がる。1.01^365=37.783、0.99^365=0.025



出来る人と出来ない人の違いは何だろう。
一つ分かりやすく見える方程式は、以下のようなものだと思う。

1.01を365日乗数でかけていくと、結果は約37.78、
0.99を365日乗数でかけていくと、結果は約0.025。

毎日1%向上すると、1年後には37倍になっている。
毎日1%堕落すると、1年後には0.025倍になっている。

そもそも、365日なので0.01×365で 3.65倍じゃないの?と思う人もいると思うけど、経験上、能力向上は乗数的だと感じる。
人の脳は神経細胞一つ一つが、多くの他の神経細胞と繋がっている。神経細胞一つ増える毎に、それと連動する機能は1つ以上に増える。
知識は連動的で、にんべん、さかなへんがつく漢字といった覚え方や、この人にはここで会った、こういう場所で会ったのはあの人だ、という連想記憶がより強固な記憶に結びつく。

経験でも、様々な知識が結びついて新しいものが出来上がることがよくある。かのAppleの有名な故スティーブジョブズも、カリグラフィー[*1]授業が後にMacを開発するときにその知識が生かされたという話もしている。
[*1]カリグラフィー――文字を美しく書く技術のことで、日本で言えば書道に相当する。その体裁を整えるための文字の書体やサイズ、レイアウトなどに関する視覚的なデザインの総称がタイポグラフィー
ジョブズと比べるのは別として、私自身もIT業界から水辺環境という土木、環境、農林水産といった業界に接するようになったが、IT業界での標準が新しい分野ではまだ標準でもない、といったことは多々経験している。
新しいものでなくても、勉強・仕事しまくっていると、知識が体系化されて急に全体理解できるようになるとき、ありませんか?

信用も、経験上1.01の積み重ねが大きな信用に育っていく。
相手の期待値の斜め上を常に行くことで、この人に任せていける、この人になら多くを支払ってもそれ以上の価値を出してくれる、と感じてもらえる。ビジネスとしてお金を頂くには特に重要な姿勢である。
これは乗数なのかどうかははっきりしないが、少なくとも1.01をやっていくことによる副次的な効果であるのは確かだ。

ピアノやゴルフ等、特定の分野で世界的な一流になりたいのであれば1万時間の練習や実践が必要だ、という話もあるが、これも1.01の積み重ねの重要性とイコールと考えられる。

実際のところは、1.01を積み重ねると、ある時まで5だったアウトプットがいきなり100になる、というのが真実かもしれない。
または、ある閾値を超えて、99までは普通に見えるが、100を超えるとすごい人に見えるのかもしれない。

どういった評価であったとしても、努力すること、相手の期待値を超えること、あと少しの部分を頑張れる人、こういった習慣は、1.01を積み重ねる習慣であり、社会的な成果を出している。


仕事において、良いプライドと悪いプライド



「プライドを持て!」「プライドは無いのか」そんな言葉があり、プライドは仕事の成果を高める上で一つの重要な意識と考えられる。
一方で、「あの人プライド高いよね」という言葉はマイナスの意味(人の言うこと聞かない、独りよがり)で言われる。
成果を出す上で「プライドを捨てろ」という話も言われる。
同じプライドなのに?

プライドには2種類あると気づいた。
外向けのプライドと、内向けのプライド。
成果・作品に対するプライドと、自分をよく見せるためのプライド。
仕事において良い効果を与えるプライドは前者。後者は悪い効果を与える。

ちなみに、プライドの意味は「誇り」「自尊心」。prideの語源はフランス語で、「誇り」の意味で使っていたが、イギリス人から見るとそれが「思い上がり」や「高慢」に見えたとのことで、それらの意味も含んでいる。

自分に向いたプライドは、それだけの自信・自負があるのかもしれないが、それは一方で「資産」であり、無くしてはいけないものになってしまう。
カッコよさにプライドを持ってしまうと、カッコ悪いことが出来なくなる。
すごい人であるというプライドを自身に持ってしまうと、失敗が怖くなる。人より自分が優れていると思うため、人の話・アドバイスを聞けなくなる。出来ない人の典型パターンになる。
(年老いて人の話を聞けなくなるのも、このプライドとの関係かな。能力は下がってくるが出来てきた自分の「資産」は増えていくため、より困った人になりがちになるのかも。他山の石として人生で気をつけるべきことかな。)

一方で、外向けのプライド。
自分が作った製品・作品へのプライド。これは持っていないと、喜ばれる、品質の高い、感銘を受けるような創造物は作れない。
自分が作ったプログラムへのプライドが無ければ、人にどう使われても、どのように言われても気にならないので、品質を高くしようという努力もされないし、素晴らしく使い勝手の良いソフトに作り込む意欲も湧いてこないだろう。

自分へのつまらないプライドは捨て、自分が作り出すものへのプライドを持つ。
人はその人が出す成果を通してその人の人間性を、その人のすごさを見ている。
プライドの持ち方も、そのラインを勘違いするとタダのイタい人になる。


期限をまず決める



タイトルは前職のCOOが教えていたことで、重要な行動パターンの一つだと思う。

人間は怠惰な生き物だ。
人間は臆病な生き物だ。

なので、安全に、完璧に出来るとわかってから行動する。
なので、目の前の安心を取ることに注力する。
ただし、安全も完璧も、完全に可能である保証は出来ないので、期限がなければ、いつまでも後回しにされる。
目の前にある稲を刈るだけ刈って、種まきをしなければ次年度には稲の収穫は出来ない。

重要と緊急のマトリックスがあるが、「緊急かつ重要」は常に最優先される。一般的にその次に優先されるのは「緊急であるが重要ではない」である。「緊急ではないが重要である」ではない。
しかし往々にして重要なのは「緊急ではないが重要である」領域(図では左上)
重要緊急
「緊急ではないが重要である」は、大抵将来的には重要だがすぐに効果が出ないので置いておかれがちなところのことである。
現在の弊社団だと、「つりチケ」の位置づけはそうなりがちである。
「つりチケ」という自社サービスは育てなくても、受託開発の案件は多くどちらかというと断っている状況(この記事記載時)だからである。
ただ「つりチケ」に手をかけないままだと、自社サービスのプラットフォームビジネスが育たず、CWPとしてやりたいことにも繋げられないままになる。

このような状態の時の解決策は、
期限を決めて、「緊急ではないが重要である」から「緊急かつ重要」に格上げすることである。重要緊急2

「緊急」とは何か。急ぎやらないといけない=期限が決まっているもの、ということになる。
BtoBの場合、顧客からの期限は、期限を決めるのが顧客であるため、ここまで!と言えばそこが期限になる。
そこの調整は、実は「本当の本当にその期限ってその日である意味ありますか?もうちょっと先でもいいのではないですか?他にこちらの方が優先すべきでは?」と期限の意味を確認して調整する必要がある。顧客側も組織人だと上司に怒られたり他との調整があったりするため、そのプレッシャーで少しでも早くしたいだけかもしれない。(本当のその期限である必要もあるかもしれない)

では「つりチケ」のような自社サービス等の場合は?
これは結局自分たちで期限を決めるわけだが、自分たちで決めた期限は結局決めたのも自分たちなので、伸ばすのも自分たちになりがちである。
なので、ここも解決方法は2つ。
①期限を変更出来ないようなプレッシャー状況に置く(外部へのプレスリリースセッティング日を決めてしまう、リプレイスのためのハード自体の止める日を決めてしまう、等)
②期限の意味を事業展開計画を検証して考え抜き、そこで手を打てないと負ける、というレベルまで落とし込む。

①も②も難しいような内容(最初のプロトタイプでもよいので製品・サービスを出す等)となると、後はその人個人が自分で決めた期限にどこまで追い込むことが出来るか、という習性がモノを言う領域になる。

尊敬する人で濱口秀司さんというイノベーションを創ること自体を仕事にしている方がいるが、その人の話で最初の電機メーカー時代に「自分は怠け癖があるので、朝6時に来ると決めて、9時の業務時間までの間自分の好きなことをした」と、ルール化してしまったという話があった。
これだけすごい人でもこういうことをするのか、とも思うかもしれないが、自分としてはこういう自分ルールを決めてきちんと守れる人だからこそ今の濱口さんのような人になったのだろう、と感じている。そして自分ルールを決めるためには、「自分は怠け癖がある」という自己認識をまずきちんとすることから、だと思う。
人間が持っている属性は自分も持っているものである。だから

人間は怠惰な生き物だ。
人間は臆病な生き物だ。

自分は怠惰な生き物だ。
自分は臆病な生き物だ。

なのである。
ならば、期限を決めるというのもその習性に対するルールによる統制である。
実現不可能な期限を設定する意味はないが。あくまで背伸びしたら届く、自分の120%だしたら届く、という期限の設定が胆。失敗して原因が能力不足なら次の期限は少し長くみたらいい。それだけだ。


IT×水辺環境から社会を変えていく日々