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期限をまず決める


タイトルは前職のCOOが教えていたことで、重要な行動パターンの一つだと思う。

人間は怠惰な生き物だ。
人間は臆病な生き物だ。

なので、安全に、完璧に出来るとわかってから行動する。
なので、目の前の安心を取ることに注力する。
ただし、安全も完璧も、完全に可能である保証は出来ないので、期限がなければ、いつまでも後回しにされる。
目の前にある稲を刈るだけ刈って、種まきをしなければ次年度には稲の収穫は出来ない。

重要と緊急のマトリックスがあるが、「緊急かつ重要」は常に最優先される。一般的にその次に優先されるのは「緊急であるが重要ではない」である。「緊急ではないが重要である」ではない。
しかし往々にして重要なのは「緊急ではないが重要である」領域(図では左上)
重要緊急
「緊急ではないが重要である」は、大抵将来的には重要だがすぐに効果が出ないので置いておかれがちなところのことである。
現在の弊社団だと、「つりチケ」の位置づけはそうなりがちである。
「つりチケ」という自社サービスは育てなくても、受託開発の案件は多くどちらかというと断っている状況(この記事記載時)だからである。
ただ「つりチケ」に手をかけないままだと、自社サービスのプラットフォームビジネスが育たず、CWPとしてやりたいことにも繋げられないままになる。

このような状態の時の解決策は、
期限を決めて、「緊急ではないが重要である」から「緊急かつ重要」に格上げすることである。重要緊急2

「緊急」とは何か。急ぎやらないといけない=期限が決まっているもの、ということになる。
BtoBの場合、顧客からの期限は、期限を決めるのが顧客であるため、ここまで!と言えばそこが期限になる。
そこの調整は、実は「本当の本当にその期限ってその日である意味ありますか?もうちょっと先でもいいのではないですか?他にこちらの方が優先すべきでは?」と期限の意味を確認して調整する必要がある。顧客側も組織人だと上司に怒られたり他との調整があったりするため、そのプレッシャーで少しでも早くしたいだけかもしれない。(本当のその期限である必要もあるかもしれない)

では「つりチケ」のような自社サービス等の場合は?
これは結局自分たちで期限を決めるわけだが、自分たちで決めた期限は結局決めたのも自分たちなので、伸ばすのも自分たちになりがちである。
なので、ここも解決方法は2つ。
①期限を変更出来ないようなプレッシャー状況に置く(外部へのプレスリリースセッティング日を決めてしまう、リプレイスのためのハード自体の止める日を決めてしまう、等)
②期限の意味を事業展開計画を検証して考え抜き、そこで手を打てないと負ける、というレベルまで落とし込む。

①も②も難しいような内容(最初のプロトタイプでもよいので製品・サービスを出す等)となると、後はその人個人が自分で決めた期限にどこまで追い込むことが出来るか、という習性がモノを言う領域になる。

尊敬する人で濱口秀司さんというイノベーションを創ること自体を仕事にしている方がいるが、その人の話で最初の電機メーカー時代に「自分は怠け癖があるので、朝6時に来ると決めて、9時の業務時間までの間自分の好きなことをした」と、ルール化してしまったという話があった。
これだけすごい人でもこういうことをするのか、とも思うかもしれないが、自分としてはこういう自分ルールを決めてきちんと守れる人だからこそ今の濱口さんのような人になったのだろう、と感じている。そして自分ルールを決めるためには、「自分は怠け癖がある」という自己認識をまずきちんとすることから、だと思う。
人間が持っている属性は自分も持っているものである。だから

人間は怠惰な生き物だ。
人間は臆病な生き物だ。

自分は怠惰な生き物だ。
自分は臆病な生き物だ。

なのである。
ならば、期限を決めるというのもその習性に対するルールによる統制である。
実現不可能な期限を設定する意味はないが。あくまで背伸びしたら届く、自分の120%だしたら届く、という期限の設定が胆。失敗して原因が能力不足なら次の期限は少し長くみたらいい。それだけだ。


起業時の踏み出しと、後方確認と。


やっていることは社会起業家なのだが、行政管轄・NPO領域の分野で非常にリスキー。
これから成功していくかはやっていってみないとわからないが、想定していた以上にいい流れになって社団設立5年目に突入している。
すべて終わってからの振り返りもいいけど、今時点のリアルな感覚を伝えるべく、これから起業、特に社会起業家を目指す人のためにも、社会起業という選択に踏み切った理由と、リスク度合いを記載しておきます。

まず話に入る前の大前提として、自分は今まで起業をしたこともなければ、アメリカの起業家の昔話にあるようなイベント時にジュース仕入れて売った、みたいな商売経験もない。
前職入社したのはまだ設立7年目ぐらいだったころのITベンチャー企業で、そこからも成長し続けている会社だったため起業へ向く雰囲気はあったが、それでも実際起業に踏み切るには並大抵ではない心理状態だったと思う。

自分の社会起業へのモチベーションは
①新しい社会的価値を生み出す「起業」をしたい
②心から意義を感じれる誇れる仕事を
③自身のレベルアップ
だった。

①新しい価値を生み出す「起業」をしたい。
これは大学で関わっていたサークルでの影響からずっと持っていた。
起業するまでの10年弱、色々夢想してみたり計画作ってみたりもしていたが、ちょっと相談したりしてはすぐについえていた。
それが起業まで踏み切れたのは、一つには自分自身へ「それは本当にやりたいことか」「やって人生にとっての価値を感じれるか」といった問いかけを何十、何百回も行ったからだと思う。
他人が何を言っても、それでも自分はやりたいし、勝手にやる、という心理状態になれないと前人未到の領域には踏み込めないと思う。
今起業してみて感じるのは
・仕事をしていて自然に起業のきっかけが出てくることはない。(これは起業しやすい分野でそのようなネタによく接する、例えばリクルートの営業等は比較的起業のきっかけには出会いやすいのかもしれない)
・本気でやりたいものでなければ起業する行動まで起こせない(これは人によるのかも。イスラエルやアメリカ西海岸の話を聞くと、どうなるかわからないけどまずやる、という感覚値なのかも)
・ちょっとしたアイディアは適当に人に話すと潰れる。本当に育てたいアイディアなら、膨らませてくれる人へ絞っての相談か、自分で小さく確認、検証していってみるべき。
・起業したいならばその分野で新しいものを生み出す気を持っている人々の所に所属しておくと踏み出しやすい

②心から意義を感じれる誇れる仕事を。
この点は色々な意見あるかと思うが。前職の仕事は面白かったし、価値も高いと思っていたが、ずっと仕事をしていく上でどうしても気になるようになったのが、「相手の仕事を効率化して、費用対効果高い仕事を提供し、ではその先にあるのは??」といったことだった。
自分の仕事でもそうだが、省力化、短縮出来ることで新しい取り組みが出来たり、評価が上がったりで良いことなのだが、ではどこまで短縮すれば満足いくのか、というとゴールは無い。
短縮した分だけ別の仕事に時間を割けるだけ。生産性は何かを達成するための手段であり、生産性を上げる仕事自体にのめり込みきれなくなったのを感じた。
生産性を上げる仕事ではなく、自分の最終的に満足・幸福を感じれる仕事をやりたいと思ったのが大きな欲求となっていた。

また、起業を決意したのは子供が生まれる半年前。子供に対して絶対的な自信を持って自慢出来る状態か?今の延長で
今後そのようになれるのか?ということを考えるとそのときの答えはNOだった。

③自身のレベルアップ。
自分に足りないものは「人を巻き込み物事を達成する力」だと前職でも認識していた。
そしてそれが足りない理由は
③ー1.自分で選択して自分で作り出した経験値の少なさ
小学校の頃からずっとそういった状態で、大学生後半になってやっと徐々に出来始めたところ。
ただし絶対的な自分への自信に繋げるには時間がかかることは感じていた。
③ー2.全力を出し切っていない
前職でも出来る限りのことをやってきたとは思っているが、本当の本当に全力出し切っていたかというと、どこかに逃げを作っていたように思う。
③ー3.人を巻き込めるほどの大義を感じる内容なのか?
人の状況に気を使うタイプ(そう見られないことは多いが、雰囲気読まないのはわざとです)のため、人に仕事してもらうぐらいなら自分でする、とやってしまうタイプ。
ただこれは、自分のキャパを超えるような仕事の目標を持っていないのと、それに巻き込むほどの価値があるのか、と思ってしまうから。
本当に影響の大きい仕事を成していくには自分一人で出来るはずはなく、ただそこまで積極的にやってもらう価値を感じれなかったのだと。そのため組織で役割として決まっている状態は問題ないけど、その役割自体を決めてコントロールしていくような部分ではいまいちうまくいっていなかった。

これらを克服して次のステージにいくには、③−1を思いっきり踏み込むこと、③−2は起業という自分でやったことがすべての環境におくことで自分への言い訳をなくす、③−3は意義を自分にとって信じれるだけの、他の人がやらなくても自分だけでもやるといった想いをつくること、だった。

では、起業に踏み切る上でのリスク度合いはどうか?
・起業事業自体の成功可能性
▶︎自分が選んだのは個人がすぐにお金を出してくれるようなものではない、一般には行政が担っている分野への起業。成功させるつもりでの本気度でリスクを取っているが、成功することを前提に行動出来るほどの事業でもない。
・失敗したときのリスクヘッジ
▶︎最悪のパターンは資金も尽きて何も動けなくなったとき。これは今まで10年弱、本気で仕事に取り組んできたことで転職出来ないことは絶対に無い、という根拠ない自信がついたため、仕事も無くて野たれ死ぬ、なんてことは無い。家内も仕事しているため、選択肢広げれば主夫という選択肢もある(個人的にはそれは無いが)
・資金計画
▶︎自分が今まで貯めた資金で前職辞めてから最大1年半は持たせられるだろうから、そこまでに芽が出なさそうならば撤退する、という形で家内と話はつけた。(結局は積み立てた生命保険を担保に家内から借り入れも発生したが。)
上記のように最悪のパターンやマイルストーンは決めていたため、リスク非常に高いと見られている本起業にも踏み込めた。

色々な人に話をするときも、9割ぐらいはお金はどうしているの?と聞かれるのだが、上記の話をするとそれなりに納得してくれる。まったくリスクを考えず動くより、そこは考えつつ動く人間の方が信用出来る、ということだと解釈している。(後先何も考えていない人と一緒に何かやるのは、さすがにその人にとってもリスクなので、その判断基準なのだろう)

最悪の場合のリスクヘッジに自信持てるならば、一度起業の道に進んでみるのが良いと思う。
自身の価値観を0から反映出来る唯一の領域だから。


フルフレックス、リモート勤務自由、休暇自由


CWP/creatoでは①フルフレックス、②リモート勤務自由、③休暇自由 にしている。
ただし、どれも条件は 
・人としての常識で判断
・周囲関係者との調整 
・自分の稼ぎは自分で作る
・仕事量調整はマネジメントの仕事
を前提として、である。

一般の会社は勤務時間を合わせ、オフィスに出社してもらう。夏休みやGW等休暇取得時期も決まっているタイプが多い。
何故こうしているのだろうか。
1)上記条件の調整コストを減らす(生産効率の観点)
2)労働基準法に勤務時間、休憩時間等を決める等決めがあり、多くの労働形態が裁量労働等認められていなかった(法的ルール←立場の弱い労働者を働かせ過ぎない観点で作られた法による制約)
3)労働者を信用していない(マネジメント方針の観点)
こういった理由があると思っている。

しかし、その所謂一般会社の勤務時間の決めがあり、オフィス勤務必須なのは、場所に制約され、計画的な提供を必要とする製造業や飲食業をベースとし、知識集約型でない労働集約的な働き方であるからこそ効果的に動いてきたものだと考えている。

知識集約型産業は、色々な知識をインプットし、知恵を使って人が使いたい・買いたいものを提供する仕事。オフィスにいなくても考えることは出来るし、反対にオフィスに縛られインプット種類が減ると生産性が高まらない可能性だってある。
一方で、インターネットが整備され、クラウド利用も当然のようになってきて、アウトプットさえオフィスにいる必要が少なくなった。(デザイナーやプログラマーはマイPCで製作・開発出来るし、マーケターは自身の企画とそれを実施するコミュニケーション・リソースマネジメントが出来ればオフィスに常にいる必要もない)

オフィス出社が必要な点は
1)セキュリティ。機密情報・個人情報漏洩はビジネス上の大きなリスクで、これを根本的な方法論はオフィス外に持ち出さない。これが徹底されると、PC社外への持ち出し禁止、USB等物理的なデータ持ち出し方法の禁止、サーバーも内部ネットワーク置いた状態となる。金融はこれが徹底されている。(最近は一部クラウド利用され始めているが)
2)直接会っての対人コミュニケーション。skypeやハングアウトではまだどうしても細かいニュアンスの受け答えが出来ないことが多いし、共同によるクリエイティビティも発揮しにくい。

2)に関しては今だリモートでは埋めきれないものがあるため、遠隔地でのフルリモートで働く形態の採用はしていない。文化やチームとしての一体感がどうしても出ないと感じている。

③の休暇自由に関しては、正直リモート勤務になるとどの程度働いているかわからないので(PCの前に座って開始終了を計測するのは目指したい勤務形態ではないため除外)、休暇も自由でいいでしょう、と。
そもそもよく働きよく遊ぶ、がモットーなので、出来れば今後5年勤務したら有休とは別に1か月間休めるとかの制度も作りたいな、と思ってる。
休暇自由にしたら全然会社に来ないか、というと意外に皆働く。日本人が真面目なのかもしれないし真面目な人がメンバーになっているから、という話かもしれないが、前提条件が共有されているからかもしれない。

ブラジルのセムコ社という会社の方針が一つの参考になっているが、社員一人一人を大人として扱う、という言葉がある。
働いていて幸せだと感じれるのはそういう基本的な思想を本気で実現するために制度・仕組に落とし込んでいくことではないかと思っている。


理想形をまず考える


仕事を取り掛かる場合に、往々にして現在の状況から始めたり、依頼された内容の言葉通りに対応する。そういう人が多い。
これは一般の現場の人は、仕事は他から依頼されてくるからだと思う。

例えばある美容化粧品が発売されて、上司に「新商品出たことをニュースに上げておいて」と言われる。

そして言われたことをそのまま実施する。
新商品リリースしました、と自社HPに書いて終わる。
上記はちょっと極端だが、分野によってはそのレベルが仕事だと人もいるだろう。

でも、そもそもそのニュースを出すことに何の意味があるのか?
そのニュースを見て見た人はどのように動いてほしいのか?
最終目的は何か?

理想は例えば、新商品のことを認知し、さらに詳しく知ってもらって、代理店なら扱いたいと問合せしてもらう、一般ユーザー向けなら購入するためにECサイトに誘導したり、扱っている店舗を紹介したりする。
そこまで考えて新商品のリリース情報を書くならば当然誘導したいサイトにリンクするし、プレスリリースも用意する。多くの代理店抱えているなら新商品説明会を実施する方がより積極的に販売してもらえるかもしれないので関係者とどのように連携するのか確認をするかもしれない。

この思考の深さが、結果に繋がる確率を高め、また顧客・依頼者に対する満足度を向上させる。
上司も、新商品のニュースリリース見て、商品へのリンクも貼っていなかったら更に指示出さないといけないし、その程度もやっていない人は随時仕事をチェックしないとと思われるから監視が厳しくなるだろう。
上司の期待値が商品詳細へのリンクを貼っているレベルだったら、当然のことをした程度で特に評価もされない。
上司が想定していなかった行動までして、それを報告して初めてこいつは出来るな、と思われる。

期待値を越えるには、相手の期待する結果以上のことを先回りして出来ないといけない。
結果に繋げるには、結果から逆算して作業を考える。
つまりまずは理想を描くこと。

また理想と現実のギャップ=解決すべき問題でもある。
理想が低いと、解決すべき問題も出てこないので対応する仕事もない(本人にとって仕事は減っていいのかもしれないが)

指示を多く出さないといけない人は、この「理想を描く」が習慣になっていないのだろう。
指示するのも指示する側としてはめんどくさいので、是非こういう習慣は身に着けてほしい。


社団法人と株式会社、選択順序の理由


自身で一般社団法人ClearWaterProjectと株式会社creato(クリート)を作り、共に代表を務めている。
社団法人は 2013年4月、
株式会社は 2014年4月
と株式会社の方を後に作っている。
これは誤解されないように最初に言っていることで、意図は利益重視でなく社会目的重視です、
ということを伝えたいためである。

そもそもそれが何故社会目的重視になるのか、というと、その性質の違いによる。
ざっくり株式は営利目的、NPO法人や社団・財団などは非営利目的、と言われる。

でも、この言葉のイメージだけが先行し
「NPOは稼いだらダメなんでしょ」
「給与が低い、好きな人以外やれない職業」
「趣味の延長線上」
というイメージが強いと認識している。

ただ、実際のメインの違いは以下のような部分である(ポイント把握用にざっくり書いているため、詳細は別サイトに譲る)

/ 株式 NPO 社団
意味合い 組織は出資者である株主の持ち物 組織は社員の持ち物 組織は正会員の持ち物
運営形態 株主総会>取締役会>組織運営 総会>>理事会>組織運営 社員総会>理事会>組織運営
純利益 株主に分配 内部留保のみ 内部留保のみ

つまり、株式とそれ以外だと、
利益が出れば、その組織の持ち主である株主に分配できるかどうか、が大きなポイントとなる。

儲けたお金は基本は株主のものなのである。
経営者が他に使うことも可能だが、株主総会で経営者の首にすることが可能なため、50%以上の株を持っていれば意に沿わない経営者は首に出来る権限を持つため、基本要望は聞く必要が出てくる。

NPOも社団も、儲けたお金は事業に再投資するのであり、事業が社会目的と一致する限りは儲けは社会還元する、と言っているのと同義なのである。
(自分たちの給与を上げることは出来るので、利益を出さずに自分たちの給与にする、ということも出来るが、そこは財務内容からチェックしていくしかない)

水・水辺環境は公の空間であり、関わる人も行政・NPOの人も多いと思われたため、最初からスタンスを明示しておきたかった、という点が社団を選んだ一つの理由である。

NPO法人でいいじゃん、という意見はあると思うが、
①上記表のように、NPOは総会権限が強く、少数の意思決定による機動的な運営がしにくい
②設立に時間がかかる(平均5,6ヵ月)
③「非営利」のイメージが強すぎる

②に関してはNPO法(特定非営利活動促進法)の改正案が2016年6月1日に可決され、設立までの期間が短くなるが、それでもそれなりの長さ。
社団法人はせつりつまでに3週間前後で可能。

そして大きな理由なのが③「非営利」のイメージが強すぎる。
NPOは Non Profit Organization(非営利組織) の略だが、本質的には Not For Profit Organization(営利のためでない組織)であり、利益最重視による弊害・社会的役割の網羅不足を補完する意味合いで作られた立場・組織である。
収益を上げないと働く人の給与は払えないし、持続的に運営も出来ない。事業規模が大きくなければ社会的インパクトも低くなる。収益上げるのは最低ラインであり、収益上げたお金を何に使っていくのか、の目的・重視ポイントの違いである。

一般社団法人は色が付きすぎていないため、先入観が比較的なく話が出来るだろう、という読みがあった。
(そしてそれは現時点まででは正しそうだと思われる)

一般社団(財団も)は2008年の法改正により株式レベルに作りやすくなったため、昨今は非常に多く設立されるようになっていて、怪しいところも増えてきているのでいまいちなのだけど、選択理由は上述の通り。

社団の1年後に株式を作ったのは、社団の事業だけでお金を回せるようになっていればよかったけど、そこまでいけなかったため足元資金が必要になり、システム開発やコンサルティング事業も行ってきた。その仕事を受けやすいように顔を別に作った、というのがほぼ正しい認識。
(自社システム発注するのに、社団に出す、というと上司の承認得られないでしょうね、という)

そんな形で今の運営形態になっています。


【能力】細かく分けて考える


人の能力は何によって差が出てくるのか。
優秀な人はどのような思考・行動をしているのか。
【能力】ではその要素を順不同ながら書いていく。

「細かく分けて考える」

前職での開発論(ここではプログラミングメインのパッケージシステムだが、もう少し抽象化すると業務向け、BtoBでの業務支援製品全般に言えそう)の中に、上記言葉があった。

プログラミングをしてソフトを作ってみると多くの人が理解出来ると思うが、ソフト開発。システム構築では上記は必須の考えで、
これが出来ない人はまともなソフトを開発出来ない、というレベル。
プログラミングとは、ロジックを何十、何百、何千、何万と連ね、組み合わせる作業だからである。
そのロジックのステップを一つ飛ばすと不具合が起きる可能性がある。
(例えば if (a < 0) みたいなロジックが抜けていると、aがマイナス値入った(=異常値が入った)の時の挙動が抜けていてデータ保存できない、なんてことがあるかも)
だから全て要素分解出来る必要がある。
「科学」とはロジックの組み合わせで、そのロジックの元は証明された確実な動作であり、それを元にした再現性が可能な新たなロジックを積み重ねる作業であり、理系がロジカルシンキングであることが多い、というのもそういった思考回路が研究に必須だからだろう。

これは同じ結果を出し続けるために必要な思考・手段の一つであり、プロ、秀逸な成果を出している人はその分野でやっていると感じる。
やれていない人は、一度成果をだしても、何度も成果を出し続けることが出来ない。要素を分析出来ず、一度出した成果は偶然の産物になるから。

また、他にも細かく分けて考えるといい点として、
狭い範囲に集中して取り組むことが出来ることがある。
もやっとしていると何から取り組んでいいかわからず無駄に時間が過ぎる、ということは良くある。
資料の作成時に何から書いていこうか、という場合である。

そういった場合は、まずどのような相手に何を伝えたいかを考え、そのために書いておきたい概要を考える。
そこから
→ どのような紹介することがあるかをとりあえず書きだす(製品を購入してもらいたいなら、自社概要、製品紹介、製品メリット、競合他社との比較、利用シーン想定等)
→ 書きだした項目から、何故それを伝えたいのかを考える(自社概要:自社が有名でなければ信頼できるところですよ、という点を伝えるためちょっと多めに。 製品紹介:とにかく必須、 製品メリット:一般的な消費財であれば、ユーザートレンドとその背景、それにマッチした製品である点を。 等等)
→ 各項目を説明したい順番に並べる
→ 今日は2時間取れるから自社概要を、明日は4時間取れるのでボリュームある製品メリットを、といった形で絞る。

このようにブレイクダウンして、作業単位レベルまで落とし込めれば、後は各項目の作業を実施していくだけである。
こういった「分ける」作業で、何を書こうかと悩む時間を減らし、資料作成スピードを上げることが出来る。
また、一つ一つ意識して書いているので、その部分詳細に詳しくなり、他製品の販売時にも自社概要や、競合他社の状況等パーツパーツで再利用できるようになる。次回資料作成時には自社概要や競合他社部分に考え、作成する時間を割かなくて済むようになる。

個人の業務効率化はこういった行動の積み重ねにより生産性が変わるものだと思う(特にホワイトカラーと呼ばれる分野の仕事は。)。
これはロジカルシンキングをする上での最低ラインの思考・行動であり、この精度・スピードが一つの能力差になっていると感じている。
(一方で企画タイプの人はこういった考えで企画をしているのかどうか、いまいちまだ把握出来ていない。。こういうことを考えれた上で、相手が把握しやすいような統合された概念で話をしているのだろうか。。企画力は自分に持てていないタイプの能力の一つである。)


4期目突入にて経営や人に関して想うこと徒然と。


この4/1から一般社団法人ClearWaterProjectは4期目、株式会社creatoは3期目に突入。
ホント、様々な人からの有形無形の支援支持を受けて形になってきたと思います。感謝!
あまり文字で近況を表していないので、徒然と浮かんだことを。

・社団と株式の両輪経営なので相変わらず資金バランス悪い経営だけど、キャッシュさえなくならないよう計画実行すればどうにか出来るもんだ、というのはわかりました。Cash Is King。(とはいえ毎度そんなリスキーなこともしていられないので、余裕資金作ることにこしたことはないので今期はそのフェーズ)(こんなこと書いているといつつぶれてもおかしくない、と思われそうな気もするけど、結局コントロール不可のレベルまで返せない金を作った、設備投資するとそうなるのかと。それが重要な経営判断の一つなのかな、と。)

・昨年11月コワーキングから自社個別事務所に。人も増えて再レイアウト中。毎年場所が変わっている(笑)。自身も社会人後6回引っ越ししているので、そもそも引っ越しが好きなだけの人みたい。

・小さいながらCWP方向性と一致した初行政案件も受注。今年度も拡大を。

・リーダーシップとは覚悟とVISIONだな、と。
覚悟:先頭を進む覚悟、そこから逃げない覚悟。心だけでなく行動を伴ってるか。自分の資産の1/3以上を無くすリスクをとってるか。それらがにじみ出て感じとられるのだろう、と。
VISION:実現させるとワクワクする、良い世界になる、それを感じれるイメージ。それを伝えることが出来ているか。この点は言葉では適切に表現できていない気はするけど、何となく気迫で感じ取ってもらっているような。。
たぶんこれがもっと一般的に人に直接関係するもの、もっとストレートに伝わるもの、稼げるだろうことというものがVISIONとして持てれば投資呼び込めたり給与水準もっと早く上げたりも出来たのだろうけど、個人的なモチベーションがインフラ・プラットフォーム・社会基盤づくりにあり、既存のビジネス・事業の延長線上にはその道は無いと思っているのだから仕方ない。

・人に関しての直感はほぼ正しい。良いな、と思った人はそこからさらに繋がるものが出来る。良くないな、と思っている点は大体時がたつとそれで問題になっている。合わないな、と思ってる人とやっていても別れることになる。

・前職も楽しかったけど、今は全く違う価値も含み、それより面白い。収入は以前に比べるとまだ少ないけどね。

・関わりたいけどまさにリソース集中の問題で関われていないものもある(オープンデータ関係、地方創生系)。もう少し進むとまた違うかな。

・自社サービス4件目手掛中。他3件を育てるためにもリソースが必要。開発者募集!(もうすぐ営業も必要になりそう)


起業家・事業家の「リスクテイク」ということ


「リスクテイク」、学生団体に所属している時に先輩がよく言っていた言葉で、大切だとは思っていたけど
実際のこれを体感したのは起業した後。それまでは本当の「リスクテイク」が何かわかっていなかったと言える。

リスクテイクに関して、多くの著名人が言及している
孫正義氏「新しい挑戦をする時は、3割くらいの財産は捨てても良いという覚悟が必要だ。」
岡本太郎氏「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ」
ビル・ゲイツ氏「リスクを取らないことがリスクだ」

起業してから大小様々な起業家・事業家にも出会うようになったが、事業を大きくしている人は
リスクを冒して事業展開することこそが事業運営の要諦だと異口同音に言う。

星野リゾートの星野佳路氏はインタビューの中で「運営会社から見ると、所有しないことは、借金しなくてもよいということ」ということを運営方針の中で話されているけど、確かに「所有する」というのは一度に数十年単位で動かす大きなお金を一度で使うため「リスクテイク」だ。一方で元の所有と運営を両方やっていた星のやの実家の所有を売って、完全運営にのみ特化したことも、すでに所有していた「資産」を手放し、事業投資していったという意味では「リスクテイク」である。

見通しつかない中、自分の資産、もしくは他からの借入金、投資資金等で将来3年、5年、10年、または30年50年といった先のために前倒しで資金を使うこと。
想定通りに事業が成功しなければ、使った資金は戻ってこない。

これが、100億円現金ある人が1000万円の投資をすることなんか、投資とも言えないぐらいの痛みでしかない。
しかし大部分の起業家は自己資金でさえ1000万出せる人はほとんどいないのではないだろうか。
20代~30代のそこそこの稼ぎがある人なら貯金や資産等で、年齢にもよるが300万~1000万ぐらいはあるかもしれない。

例えば22歳から30歳までで頑張って500万溜めたとして、それを起業のために使うとする。
失敗すればその500万だけでなく、そのために溜めてきた8年間という時間を使うことになる。
そこまで溜めるのにまた8年近く時間をかけなければいけない。
あなたにはそれだけの覚悟を持てるのか?それだけの価値があると思えることをやろうとしているのか?
自分の人生で溜めてきた「資産」をその事業にbet出来るのか。差し出せるか。
自分の人生の一部を賭ける。これが本当の意味での「リスクテイク」なのだと思う。

自分がやり始めたことは川や海等の公共部分に関係することなので、本来的には行政範囲だが、ビックデータを集め、皆に使ってもらえるレベルにサービスを育てる、という方法は行政には今後も実現できないことのため(組織構造・体制的に無理)それを実現するために起業した。
当然一般的に収益性が高い分野とはいえず、それどころか収益化出来るかも不明な分野。そこをどうにか収支のまわる事業化するために、その事業化に自分の溜めてきたお金ほぼ全てとこれからの時間を「投資」した。さらに出資が非常に呼びにくい(特に初期は)ものであるため、融資を使って前倒しで少しずつでも実績を作ってきた。融資は将来的に利子をつけて返済しなければいけないため、使った分が投資したものとして収益として返ってこないと別の稼ぎで返していかなければならず、それもまたリスクテイクである。

その「リスクテイク」が自身への覚悟となり、その覚悟・気迫が伝わることで手を差し伸べてくれる人も出て事業が進むのだと思う。
事業にお金を投じてくれる人も、自身のお金の一部をポン、と渡すのだから何が何でも成功させてくれる人だと思えなければそうそうお金は出さないだろう。自分なら出さないし。

そうやって進んだその事業は、最初想定していた商品やサービスではないかもしれないけど、目的に近づくものであれば手段は倫理の範囲内であればなんでもいいはずである。

起業のリスクテイクとは上記のようなものだが、会社・組織が大きくなるとリスクに見舞われる人が多くなる。社員の命運もある程度かけることになる。だからリスクとると言っても会社がつぶれるリスクはとるべきではない。ただ失敗すると今までと同じ待遇・給与は無理かもしれない、ぐらいの内容なら、本当にやる価値のあることへのリスクテイクは後押しにもなる、のだろう(とビジョナリーカンパニーのBHAGとかの話を見て思う)

戻ると、事業家・起業家にとっては「リスクテイク」こそが事業創造のための前提条件であり、それに値する目的・事業でなければ人はとてもリスクテイクする気にはならないのではないか、とは思う。
ちなみに元テスラのマネジャー上田北斗氏が、過去にテスラのVPに「テスラのコアコンピテンシーは何ですか?」と聞いたら、彼は開口一番「リスクマネジメントだ」と答えた、という話があったが、これもリスクテイクに伴うダメージを可能な限り減らすための一つの要件と言える。


長期的=目的と、短期的=目標 が入れ替わらないように。


先日人との話の中で、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」の中の話で、美和(井上真央)が、群馬に移住して製糸工場に関わる部分の話があった。

明治の世に進んだ後、蚕の生糸が海外で高く評価されているからと収入が良く、多くの農家がどんどん参入し、結果生糸の品質が保てなくなり生糸価格が暴落していくという。
ただ、行政もそうなっていくことはわかっているけど、そのころの農家の貧困具合は激しく、農家の救済策の意味合いも兼ねてあえてどんどん蚕の養殖、生糸生産を奨励していったという。

これは本当にどこにでもある話だな、と。
目の前の利益が手っ取り早く向上するからと、長期的に問題になる可能性も感じつつも目をつぶってきた、という点。
当然利益が上がってきたら他に切り替わっていく農家・工場も出てくることを期待してただろうし、ゆっくりやっていると状況変わるのだからと進めたのかもしれない。国からの数値目標のプレッシャーで年の目標を優先させてきた、ということもあるかもしれない。

ただ一方で、品質を担保するためにノウハウ共有の仕組みや品質検査機関設けて、少し時間かかるけどそのままさらに多くに展開できたかもしれない。それがより大きな富を作っていた可能性もある。

ここで取り上げたいのは、長期的な視座で動けている人がどれぐらいいるのだろう、組織内で長期的な視点で判断出来る人がどれぐらいいるのだろう、ということである。

よく高校学校教育の話を聞くのだが、それなりの偏差値の高校だとほとんどが塾(予備校)に行っている。そこで受験に受かるハウツーを学んでいくため、自分で考えだす力=地力が育たない点を危惧している、という。
その学校では成績トップの子は塾に行っておらず、2番から10番はすべて塾に行っているそうな。
最近はネットでなんでも調べれるため、より深く思考しない傾向が増しているように感じる、という現場の言葉。

地力を育てる教育をすれば結果的に良い大学にも受かる、という自信はあるが、
では高校組織としていざ地力を育てる教育をしてみるとどうなるか、という。

たぶん開始1年は今までとスタイルが違うところもあり、先生全員がすぐにその体制に変われない(今まで通りのスタイルで行く)等もあり
全体の教育方針が統一されず、全体成績は下がる可能性がある。
そうなった場合、必ず親からクレームが来る。また学校が役に立たないと塾に行かせる率も増えるだろう。
それが広まるといい生徒も入らず、負のスパイラルに陥り、強制的に管理している行政組織や教育委員会からテコ入れが入るかもしれない。
そうなるとその方針終了である。

上記のような状態にならないためには、長期的に「必ず」今までより良くなる、という未来像を示し(=VISION)、その時まで信頼して任せてもらうよう周囲を説得できないといけない。
ただし、それが長くなりすぎると周囲・関係者が「こんなに待ったのにダメなら、ダメだろう」という気持ちになって協力してもらえなくなってくる。そのため、どれぐらいかかるかの見通しと、そこまでに現状レベルは維持しつつ長期目標に到達するための布石を打っていかなければならない(=戦略と実行)。

京セラの稲森和夫氏は、京セラが初めて海外(アメリカ)に打って出るとき、組織のNo.2以下信頼出来る能力ある人を日本に残し、既存事業を維持発展させつつ、アメリカには稲森氏と新人だけ連れていき、市場の開拓に成功したという。
上記によって、本丸は守りつつ、アメリカでは稲森氏の指導と成長出来るフィールドにより非常に鍛えられ、新人が大きな戦力にも成長した。
海外で成功する、というVISIONを持って、いざという時に戻れるよう日本を守りつつ、新人教育と新市場開拓という果実を求める戦略・実行を選択したものだと考える。

企業はコントロール効きにくいものは市場であり、既存市場は比較的見通し立ちやすいため戦略も立てやすいが、学校だと成果目標が結果として見えにくく、親の関与度も高いため難易度は高いと思う。ただどちらにしろトップのVISIONと、うまくいっているなと感じさせる戦略と実行の重要性は変わらない。
組織の中にいると、目的のために目標があるのに、いつの間にか目標が最重要な判断になることが多々あると感じる。
例えば東芝の不正経理も、組織力も市場も整ってない中での予算・売上目標に、下がつじつま合わせる行動をしてきたのが常態化していたことが原因。(面白い例え、粉もん料理に励んだ東芝。。 http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65835290.html
小宮コンサルタンツ代表の小宮氏も同じこと言ってますね。

目的は長期的で、目標は短期的、とすると、人は常にここを混同する生きものなのかもしれない。
そう自戒して、常に目的を見失わず、目的に近づいているなら目標未達も冷静に分析し次に活かす糧だと認識し(目的のための指標が間違えているだけかもしれないし、目標値の大胆さが足りないかもしれないし、努力が足りなかったためかもしれないが)、周りの言葉を精査して考え行動していかなければいけない。


人の縁は、想いと行動から


久々の記事。書きたいと思ったことが出てきて、実際に机に座るとどういうことを書きたいのか忘れてしまう。
日々そういうことが続いて、ついつい書けないですが。。

言わずと知れた松下幸之助氏の「折々の記 人生で出会った人たち」最近読んで、最後の締めの部分で人の縁について書いていた。

そこに書かれていたのは、縁とは不思議なものだということ。
例えば 長らく松下電器の技術部門総責任者で副社長にもなられた 中尾哲二郎氏 は、関東大震災がなかったら、震災後に頼った工場の長に気に入られていれば、入社後にお世話になった人のところに戻ったがその人の事業がうまくいっていたら、中尾氏は松下電器で活躍していなかった、と。

そのような人の縁に会うのに、でも実は日々生きていたら自然に会うわけではない、というところがミソなのだと思う。

自身でも自分で事業を起こした後に非常に感じることだけど、縁は、「想い」と「行動」の上にやってくる。

初期の方から一緒にやってくれているメンバーの2人は、同じ会社、同じ事業所のメンバーではあったけど、
最初から引き抜こうと思って声をかけたわけではない。

自分自身でも、最初のサービス『AQMAP(アクマップ)』の開発は、普通の起業と違ってすぐに事業化出来るような簡単なことではないと思っていたため、自分ひとりでやり始めたが、その進みの中で自分の構想を話する、任意団体で理事をお願いする(実際は名前貸してくれ、の意)、といったことをやっていると、相手も共感してくれて、結果CWPに参画してくれた。
理由はそれぞれで、何度も差し戻しのあいながら家族を説得してくれたり、転職しようと思っていたタイミングだったり。

その後のメンバーも、クラウドファンディングで開発資金を募集している時に、そのプロジェクトは未達で資金は手に入らなかったが、そのプロジェクトを見て連絡してくれて入ってくれた人。
『川遊びマップ』が面白いと思って、その企業が名古屋にあると知ってすぐに問い合わせしてきてくれ、会った次の日にはその時の職場に退職願いを出した人。
補助金の関連で人材募集が出来て、周りに声をかけた時にたまたま求職活動をしていた人。

他にも、400人の前でプレゼンして、投票してくれたのは10人満たなかったけど、その投票してくれた人達が他の人につないでくれたり、協賛につながったり、新しい企画作ってくれたり、事務所移転時に備品放出してくれたり。
他の場では同じように共感してくれたのは数人に満たなかったけど、その数人のつながりがまったくつながりが無く経験もない行政からの発注にも繋がったり。
数えると枚挙にいとまがない。

正直、『AQMAP(アクマップ)』の構想は最初の方では1%の共感者・理解者がいるかどうか。
大部分は「使ってもらえるの?」「それ稼いでいけるの?」「うまくいかんでしょ」、または興味なし。
どれだけやっても、凹むことは凹む。なかなか慣れるものではない。
ただ、その1%が熱い協力者となり、その次を作っていく。
理解者は、その製品やサービスを見ているわけではなく、それを生み出す人たちの実現したい世界観・思想に共感しているのかな、と思われる。
製品やサービスは手段でしかなく、それらが広まらないとその実現したい世界観に近づかないわけだけど、手段は随時修正していけばいい。

スマートではないのかもしれないし、もっと王道、多くの共感を得るものがあるのかもしれない。
ただ、少なくとも自分が発信しているものは心の底からそう思っていることを発信している。
たぶん、心の底からは思っていない、もっと多くの人が共感しそうなことを発信するより、
心の底から思っていることを発信する方が、本当の動きは出来てくるのだと。

前職では、仕事は面白かったし、鍛えられたし、充実していたと思うけど、今から思い返すと人の縁だな、と思えるものはほとんど出会っていなかった。
当然色々な人と仕事をしているし、優秀な人、面白い人、色々な繋がりがあった。
しかし、与えられた役割をこなす、与えられた縁だったためかもしれない。
もう少し分析すると、もしその人がいなくなっても、別の誰かがやってくるのである。
それが組織の組織たる所以なので、それ自体は致し方ないが、その人しかいなかった、と思えるものではなかったのではないかと。

今の縁は、自分が想い、自分が動いたからこそ発生した人の繋がり。自分が動きださなければ生まれてこなかった縁であり、
だからこそまさに縁だ、と思えるのかもしれない。

まだ前職を辞めて3年。弊社団もまだまだどうなっていくか分からないのは正直なところ。
これからも更なる縁が呼び込める人であるために、凹んでも前に向かって進んでいこう、と思う今。