社団法人と株式会社、選択順序の理由


自身で一般社団法人ClearWaterProjectと株式会社creato(クリート)を作り、共に代表を務めている。
社団法人は 2013年4月、
株式会社は 2014年4月
と株式会社の方を後に作っている。
これは誤解されないように最初に言っていることで、意図は利益重視でなく社会目的重視です、
ということを伝えたいためである。

そもそもそれが何故社会目的重視になるのか、というと、その性質の違いによる。
ざっくり株式は営利目的、NPO法人や社団・財団などは非営利目的、と言われる。

でも、この言葉のイメージだけが先行し
「NPOは稼いだらダメなんでしょ」
「給与が低い、好きな人以外やれない職業」
「趣味の延長線上」
というイメージが強いと認識している。

ただ、実際のメインの違いは以下のような部分である(ポイント把握用にざっくり書いているため、詳細は別サイトに譲る)

/ 株式 NPO 社団
意味合い 組織は出資者である株主の持ち物 組織は社員の持ち物 組織は正会員の持ち物
運営形態 株主総会>取締役会>組織運営 総会>>理事会>組織運営 社員総会>理事会>組織運営
純利益 株主に分配 内部留保のみ 内部留保のみ

つまり、株式とそれ以外だと、
利益が出れば、その組織の持ち主である株主に分配できるかどうか、が大きなポイントとなる。

儲けたお金は基本は株主のものなのである。
経営者が他に使うことも可能だが、株主総会で経営者の首にすることが可能なため、50%以上の株を持っていれば意に沿わない経営者は首に出来る権限を持つため、基本要望は聞く必要が出てくる。

NPOも社団も、儲けたお金は事業に再投資するのであり、事業が社会目的と一致する限りは儲けは社会還元する、と言っているのと同義なのである。
(自分たちの給与を上げることは出来るので、利益を出さずに自分たちの給与にする、ということも出来るが、そこは財務内容からチェックしていくしかない)

水・水辺環境は公の空間であり、関わる人も行政・NPOの人も多いと思われたため、最初からスタンスを明示しておきたかった、という点が社団を選んだ一つの理由である。

NPO法人でいいじゃん、という意見はあると思うが、
①上記表のように、NPOは総会権限が強く、少数の意思決定による機動的な運営がしにくい
②設立に時間がかかる(平均5,6ヵ月)
③「非営利」のイメージが強すぎる

②に関してはNPO法(特定非営利活動促進法)の改正案が2016年6月1日に可決され、設立までの期間が短くなるが、それでもそれなりの長さ。
社団法人はせつりつまでに3週間前後で可能。

そして大きな理由なのが③「非営利」のイメージが強すぎる。
NPOは Non Profit Organization(非営利組織) の略だが、本質的には Not For Profit Organization(営利のためでない組織)であり、利益最重視による弊害・社会的役割の網羅不足を補完する意味合いで作られた立場・組織である。
収益を上げないと働く人の給与は払えないし、持続的に運営も出来ない。事業規模が大きくなければ社会的インパクトも低くなる。収益上げるのは最低ラインであり、収益上げたお金を何に使っていくのか、の目的・重視ポイントの違いである。

一般社団法人は色が付きすぎていないため、先入観が比較的なく話が出来るだろう、という読みがあった。
(そしてそれは現時点まででは正しそうだと思われる)

一般社団(財団も)は2008年の法改正により株式レベルに作りやすくなったため、昨今は非常に多く設立されるようになっていて、怪しいところも増えてきているのでいまいちなのだけど、選択理由は上述の通り。

社団の1年後に株式を作ったのは、社団の事業だけでお金を回せるようになっていればよかったけど、そこまでいけなかったため足元資金が必要になり、システム開発やコンサルティング事業も行ってきた。その仕事を受けやすいように顔を別に作った、というのがほぼ正しい認識。
(自社システム発注するのに、社団に出す、というと上司の承認得られないでしょうね、という)

そんな形で今の運営形態になっています。


【能力】細かく分けて考える


人の能力は何によって差が出てくるのか。
優秀な人はどのような思考・行動をしているのか。
【能力】ではその要素を順不同ながら書いていく。

「細かく分けて考える」

前職での開発論(ここではプログラミングメインのパッケージシステムだが、もう少し抽象化すると業務向け、BtoBでの業務支援製品全般に言えそう)の中に、上記言葉があった。

プログラミングをしてソフトを作ってみると多くの人が理解出来ると思うが、ソフト開発。システム構築では上記は必須の考えで、
これが出来ない人はまともなソフトを開発出来ない、というレベル。
プログラミングとは、ロジックを何十、何百、何千、何万と連ね、組み合わせる作業だからである。
そのロジックのステップを一つ飛ばすと不具合が起きる可能性がある。
(例えば if (a < 0) みたいなロジックが抜けていると、aがマイナス値入った(=異常値が入った)の時の挙動が抜けていてデータ保存できない、なんてことがあるかも)
だから全て要素分解出来る必要がある。
「科学」とはロジックの組み合わせで、そのロジックの元は証明された確実な動作であり、それを元にした再現性が可能な新たなロジックを積み重ねる作業であり、理系がロジカルシンキングであることが多い、というのもそういった思考回路が研究に必須だからだろう。

これは同じ結果を出し続けるために必要な思考・手段の一つであり、プロ、秀逸な成果を出している人はその分野でやっていると感じる。
やれていない人は、一度成果をだしても、何度も成果を出し続けることが出来ない。要素を分析出来ず、一度出した成果は偶然の産物になるから。

また、他にも細かく分けて考えるといい点として、
狭い範囲に集中して取り組むことが出来ることがある。
もやっとしていると何から取り組んでいいかわからず無駄に時間が過ぎる、ということは良くある。
資料の作成時に何から書いていこうか、という場合である。

そういった場合は、まずどのような相手に何を伝えたいかを考え、そのために書いておきたい概要を考える。
そこから
→ どのような紹介することがあるかをとりあえず書きだす(製品を購入してもらいたいなら、自社概要、製品紹介、製品メリット、競合他社との比較、利用シーン想定等)
→ 書きだした項目から、何故それを伝えたいのかを考える(自社概要:自社が有名でなければ信頼できるところですよ、という点を伝えるためちょっと多めに。 製品紹介:とにかく必須、 製品メリット:一般的な消費財であれば、ユーザートレンドとその背景、それにマッチした製品である点を。 等等)
→ 各項目を説明したい順番に並べる
→ 今日は2時間取れるから自社概要を、明日は4時間取れるのでボリュームある製品メリットを、といった形で絞る。

このようにブレイクダウンして、作業単位レベルまで落とし込めれば、後は各項目の作業を実施していくだけである。
こういった「分ける」作業で、何を書こうかと悩む時間を減らし、資料作成スピードを上げることが出来る。
また、一つ一つ意識して書いているので、その部分詳細に詳しくなり、他製品の販売時にも自社概要や、競合他社の状況等パーツパーツで再利用できるようになる。次回資料作成時には自社概要や競合他社部分に考え、作成する時間を割かなくて済むようになる。

個人の業務効率化はこういった行動の積み重ねにより生産性が変わるものだと思う(特にホワイトカラーと呼ばれる分野の仕事は。)。
これはロジカルシンキングをする上での最低ラインの思考・行動であり、この精度・スピードが一つの能力差になっていると感じている。
(一方で企画タイプの人はこういった考えで企画をしているのかどうか、いまいちまだ把握出来ていない。。こういうことを考えれた上で、相手が把握しやすいような統合された概念で話をしているのだろうか。。企画力は自分に持てていないタイプの能力の一つである。)


4期目突入にて経営や人に関して想うこと徒然と。


この4/1から一般社団法人ClearWaterProjectは4期目、株式会社creatoは3期目に突入。
ホント、様々な人からの有形無形の支援支持を受けて形になってきたと思います。感謝!
あまり文字で近況を表していないので、徒然と浮かんだことを。

・社団と株式の両輪経営なので相変わらず資金バランス悪い経営だけど、キャッシュさえなくならないよう計画実行すればどうにか出来るもんだ、というのはわかりました。Cash Is King。(とはいえ毎度そんなリスキーなこともしていられないので、余裕資金作ることにこしたことはないので今期はそのフェーズ)(こんなこと書いているといつつぶれてもおかしくない、と思われそうな気もするけど、結局コントロール不可のレベルまで返せない金を作った、設備投資するとそうなるのかと。それが重要な経営判断の一つなのかな、と。)

・昨年11月コワーキングから自社個別事務所に。人も増えて再レイアウト中。毎年場所が変わっている(笑)。自身も社会人後6回引っ越ししているので、そもそも引っ越しが好きなだけの人みたい。

・小さいながらCWP方向性と一致した初行政案件も受注。今年度も拡大を。

・リーダーシップとは覚悟とVISIONだな、と。
覚悟:先頭を進む覚悟、そこから逃げない覚悟。心だけでなく行動を伴ってるか。自分の資産の1/3以上を無くすリスクをとってるか。それらがにじみ出て感じとられるのだろう、と。
VISION:実現させるとワクワクする、良い世界になる、それを感じれるイメージ。それを伝えることが出来ているか。この点は言葉では適切に表現できていない気はするけど、何となく気迫で感じ取ってもらっているような。。
たぶんこれがもっと一般的に人に直接関係するもの、もっとストレートに伝わるもの、稼げるだろうことというものがVISIONとして持てれば投資呼び込めたり給与水準もっと早く上げたりも出来たのだろうけど、個人的なモチベーションがインフラ・プラットフォーム・社会基盤づくりにあり、既存のビジネス・事業の延長線上にはその道は無いと思っているのだから仕方ない。

・人に関しての直感はほぼ正しい。良いな、と思った人はそこからさらに繋がるものが出来る。良くないな、と思っている点は大体時がたつとそれで問題になっている。合わないな、と思ってる人とやっていても別れることになる。

・前職も楽しかったけど、今は全く違う価値も含み、それより面白い。収入は以前に比べるとまだ少ないけどね。

・関わりたいけどまさにリソース集中の問題で関われていないものもある(オープンデータ関係、地方創生系)。もう少し進むとまた違うかな。

・自社サービス4件目手掛中。他3件を育てるためにもリソースが必要。開発者募集!(もうすぐ営業も必要になりそう)


起業家・事業家の「リスクテイク」ということ


「リスクテイク」、学生団体に所属している時に先輩がよく言っていた言葉で、大切だとは思っていたけど
実際のこれを体感したのは起業した後。それまでは本当の「リスクテイク」が何かわかっていなかったと言える。

リスクテイクに関して、多くの著名人が言及している
孫正義氏「新しい挑戦をする時は、3割くらいの財産は捨てても良いという覚悟が必要だ。」
岡本太郎氏「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ」
ビル・ゲイツ氏「リスクを取らないことがリスクだ」

起業してから大小様々な起業家・事業家にも出会うようになったが、事業を大きくしている人は
リスクを冒して事業展開することこそが事業運営の要諦だと異口同音に言う。

星野リゾートの星野佳路氏はインタビューの中で「運営会社から見ると、所有しないことは、借金しなくてもよいということ」ということを運営方針の中で話されているけど、確かに「所有する」というのは一度に数十年単位で動かす大きなお金を一度で使うため「リスクテイク」だ。一方で元の所有と運営を両方やっていた星のやの実家の所有を売って、完全運営にのみ特化したことも、すでに所有していた「資産」を手放し、事業投資していったという意味では「リスクテイク」である。

見通しつかない中、自分の資産、もしくは他からの借入金、投資資金等で将来3年、5年、10年、または30年50年といった先のために前倒しで資金を使うこと。
想定通りに事業が成功しなければ、使った資金は戻ってこない。

これが、100億円現金ある人が1000万円の投資をすることなんか、投資とも言えないぐらいの痛みでしかない。
しかし大部分の起業家は自己資金でさえ1000万出せる人はほとんどいないのではないだろうか。
20代~30代のそこそこの稼ぎがある人なら貯金や資産等で、年齢にもよるが300万~1000万ぐらいはあるかもしれない。

例えば22歳から30歳までで頑張って500万溜めたとして、それを起業のために使うとする。
失敗すればその500万だけでなく、そのために溜めてきた8年間という時間を使うことになる。
そこまで溜めるのにまた8年近く時間をかけなければいけない。
あなたにはそれだけの覚悟を持てるのか?それだけの価値があると思えることをやろうとしているのか?
自分の人生で溜めてきた「資産」をその事業にbet出来るのか。差し出せるか。
自分の人生の一部を賭ける。これが本当の意味での「リスクテイク」なのだと思う。

自分がやり始めたことは川や海等の公共部分に関係することなので、本来的には行政範囲だが、ビックデータを集め、皆に使ってもらえるレベルにサービスを育てる、という方法は行政には今後も実現できないことのため(組織構造・体制的に無理)それを実現するために起業した。
当然一般的に収益性が高い分野とはいえず、それどころか収益化出来るかも不明な分野。そこをどうにか収支のまわる事業化するために、その事業化に自分の溜めてきたお金ほぼ全てとこれからの時間を「投資」した。さらに出資が非常に呼びにくい(特に初期は)ものであるため、融資を使って前倒しで少しずつでも実績を作ってきた。融資は将来的に利子をつけて返済しなければいけないため、使った分が投資したものとして収益として返ってこないと別の稼ぎで返していかなければならず、それもまたリスクテイクである。

その「リスクテイク」が自身への覚悟となり、その覚悟・気迫が伝わることで手を差し伸べてくれる人も出て事業が進むのだと思う。
事業にお金を投じてくれる人も、自身のお金の一部をポン、と渡すのだから何が何でも成功させてくれる人だと思えなければそうそうお金は出さないだろう。自分なら出さないし。

そうやって進んだその事業は、最初想定していた商品やサービスではないかもしれないけど、目的に近づくものであれば手段は倫理の範囲内であればなんでもいいはずである。

起業のリスクテイクとは上記のようなものだが、会社・組織が大きくなるとリスクに見舞われる人が多くなる。社員の命運もある程度かけることになる。だからリスクとると言っても会社がつぶれるリスクはとるべきではない。ただ失敗すると今までと同じ待遇・給与は無理かもしれない、ぐらいの内容なら、本当にやる価値のあることへのリスクテイクは後押しにもなる、のだろう(とビジョナリーカンパニーのBHAGとかの話を見て思う)

戻ると、事業家・起業家にとっては「リスクテイク」こそが事業創造のための前提条件であり、それに値する目的・事業でなければ人はとてもリスクテイクする気にはならないのではないか、とは思う。
ちなみに元テスラのマネジャー上田北斗氏が、過去にテスラのVPに「テスラのコアコンピテンシーは何ですか?」と聞いたら、彼は開口一番「リスクマネジメントだ」と答えた、という話があったが、これもリスクテイクに伴うダメージを可能な限り減らすための一つの要件と言える。


長期的=目的と、短期的=目標 が入れ替わらないように。


先日人との話の中で、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」の中の話で、美和(井上真央)が、群馬に移住して製糸工場に関わる部分の話があった。

明治の世に進んだ後、蚕の生糸が海外で高く評価されているからと収入が良く、多くの農家がどんどん参入し、結果生糸の品質が保てなくなり生糸価格が暴落していくという。
ただ、行政もそうなっていくことはわかっているけど、そのころの農家の貧困具合は激しく、農家の救済策の意味合いも兼ねてあえてどんどん蚕の養殖、生糸生産を奨励していったという。

これは本当にどこにでもある話だな、と。
目の前の利益が手っ取り早く向上するからと、長期的に問題になる可能性も感じつつも目をつぶってきた、という点。
当然利益が上がってきたら他に切り替わっていく農家・工場も出てくることを期待してただろうし、ゆっくりやっていると状況変わるのだからと進めたのかもしれない。国からの数値目標のプレッシャーで年の目標を優先させてきた、ということもあるかもしれない。

ただ一方で、品質を担保するためにノウハウ共有の仕組みや品質検査機関設けて、少し時間かかるけどそのままさらに多くに展開できたかもしれない。それがより大きな富を作っていた可能性もある。

ここで取り上げたいのは、長期的な視座で動けている人がどれぐらいいるのだろう、組織内で長期的な視点で判断出来る人がどれぐらいいるのだろう、ということである。

よく高校学校教育の話を聞くのだが、それなりの偏差値の高校だとほとんどが塾(予備校)に行っている。そこで受験に受かるハウツーを学んでいくため、自分で考えだす力=地力が育たない点を危惧している、という。
その学校では成績トップの子は塾に行っておらず、2番から10番はすべて塾に行っているそうな。
最近はネットでなんでも調べれるため、より深く思考しない傾向が増しているように感じる、という現場の言葉。

地力を育てる教育をすれば結果的に良い大学にも受かる、という自信はあるが、
では高校組織としていざ地力を育てる教育をしてみるとどうなるか、という。

たぶん開始1年は今までとスタイルが違うところもあり、先生全員がすぐにその体制に変われない(今まで通りのスタイルで行く)等もあり
全体の教育方針が統一されず、全体成績は下がる可能性がある。
そうなった場合、必ず親からクレームが来る。また学校が役に立たないと塾に行かせる率も増えるだろう。
それが広まるといい生徒も入らず、負のスパイラルに陥り、強制的に管理している行政組織や教育委員会からテコ入れが入るかもしれない。
そうなるとその方針終了である。

上記のような状態にならないためには、長期的に「必ず」今までより良くなる、という未来像を示し(=VISION)、その時まで信頼して任せてもらうよう周囲を説得できないといけない。
ただし、それが長くなりすぎると周囲・関係者が「こんなに待ったのにダメなら、ダメだろう」という気持ちになって協力してもらえなくなってくる。そのため、どれぐらいかかるかの見通しと、そこまでに現状レベルは維持しつつ長期目標に到達するための布石を打っていかなければならない(=戦略と実行)。

京セラの稲森和夫氏は、京セラが初めて海外(アメリカ)に打って出るとき、組織のNo.2以下信頼出来る能力ある人を日本に残し、既存事業を維持発展させつつ、アメリカには稲森氏と新人だけ連れていき、市場の開拓に成功したという。
上記によって、本丸は守りつつ、アメリカでは稲森氏の指導と成長出来るフィールドにより非常に鍛えられ、新人が大きな戦力にも成長した。
海外で成功する、というVISIONを持って、いざという時に戻れるよう日本を守りつつ、新人教育と新市場開拓という果実を求める戦略・実行を選択したものだと考える。

企業はコントロール効きにくいものは市場であり、既存市場は比較的見通し立ちやすいため戦略も立てやすいが、学校だと成果目標が結果として見えにくく、親の関与度も高いため難易度は高いと思う。ただどちらにしろトップのVISIONと、うまくいっているなと感じさせる戦略と実行の重要性は変わらない。
組織の中にいると、目的のために目標があるのに、いつの間にか目標が最重要な判断になることが多々あると感じる。
例えば東芝の不正経理も、組織力も市場も整ってない中での予算・売上目標に、下がつじつま合わせる行動をしてきたのが常態化していたことが原因。(面白い例え、粉もん料理に励んだ東芝。。 http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65835290.html
小宮コンサルタンツ代表の小宮氏も同じこと言ってますね。

目的は長期的で、目標は短期的、とすると、人は常にここを混同する生きものなのかもしれない。
そう自戒して、常に目的を見失わず、目的に近づいているなら目標未達も冷静に分析し次に活かす糧だと認識し(目的のための指標が間違えているだけかもしれないし、目標値の大胆さが足りないかもしれないし、努力が足りなかったためかもしれないが)、周りの言葉を精査して考え行動していかなければいけない。


人の縁は、想いと行動から


久々の記事。書きたいと思ったことが出てきて、実際に机に座るとどういうことを書きたいのか忘れてしまう。
日々そういうことが続いて、ついつい書けないですが。。

言わずと知れた松下幸之助氏の「折々の記 人生で出会った人たち」最近読んで、最後の締めの部分で人の縁について書いていた。

そこに書かれていたのは、縁とは不思議なものだということ。
例えば 長らく松下電器の技術部門総責任者で副社長にもなられた 中尾哲二郎氏 は、関東大震災がなかったら、震災後に頼った工場の長に気に入られていれば、入社後にお世話になった人のところに戻ったがその人の事業がうまくいっていたら、中尾氏は松下電器で活躍していなかった、と。

そのような人の縁に会うのに、でも実は日々生きていたら自然に会うわけではない、というところがミソなのだと思う。

自身でも自分で事業を起こした後に非常に感じることだけど、縁は、「想い」と「行動」の上にやってくる。

初期の方から一緒にやってくれているメンバーの2人は、同じ会社、同じ事業所のメンバーではあったけど、
最初から引き抜こうと思って声をかけたわけではない。

自分自身でも、最初のサービス『AQMAP(アクマップ)』の開発は、普通の起業と違ってすぐに事業化出来るような簡単なことではないと思っていたため、自分ひとりでやり始めたが、その進みの中で自分の構想を話する、任意団体で理事をお願いする(実際は名前貸してくれ、の意)、といったことをやっていると、相手も共感してくれて、結果CWPに参画してくれた。
理由はそれぞれで、何度も差し戻しのあいながら家族を説得してくれたり、転職しようと思っていたタイミングだったり。

その後のメンバーも、クラウドファンディングで開発資金を募集している時に、そのプロジェクトは未達で資金は手に入らなかったが、そのプロジェクトを見て連絡してくれて入ってくれた人。
『川遊びマップ』が面白いと思って、その企業が名古屋にあると知ってすぐに問い合わせしてきてくれ、会った次の日にはその時の職場に退職願いを出した人。
補助金の関連で人材募集が出来て、周りに声をかけた時にたまたま求職活動をしていた人。

他にも、400人の前でプレゼンして、投票してくれたのは10人満たなかったけど、その投票してくれた人達が他の人につないでくれたり、協賛につながったり、新しい企画作ってくれたり、事務所移転時に備品放出してくれたり。
他の場では同じように共感してくれたのは数人に満たなかったけど、その数人のつながりがまったくつながりが無く経験もない行政からの発注にも繋がったり。
数えると枚挙にいとまがない。

正直、『AQMAP(アクマップ)』の構想は最初の方では1%の共感者・理解者がいるかどうか。
大部分は「使ってもらえるの?」「それ稼いでいけるの?」「うまくいかんでしょ」、または興味なし。
どれだけやっても、凹むことは凹む。なかなか慣れるものではない。
ただ、その1%が熱い協力者となり、その次を作っていく。
理解者は、その製品やサービスを見ているわけではなく、それを生み出す人たちの実現したい世界観・思想に共感しているのかな、と思われる。
製品やサービスは手段でしかなく、それらが広まらないとその実現したい世界観に近づかないわけだけど、手段は随時修正していけばいい。

スマートではないのかもしれないし、もっと王道、多くの共感を得るものがあるのかもしれない。
ただ、少なくとも自分が発信しているものは心の底からそう思っていることを発信している。
たぶん、心の底からは思っていない、もっと多くの人が共感しそうなことを発信するより、
心の底から思っていることを発信する方が、本当の動きは出来てくるのだと。

前職では、仕事は面白かったし、鍛えられたし、充実していたと思うけど、今から思い返すと人の縁だな、と思えるものはほとんど出会っていなかった。
当然色々な人と仕事をしているし、優秀な人、面白い人、色々な繋がりがあった。
しかし、与えられた役割をこなす、与えられた縁だったためかもしれない。
もう少し分析すると、もしその人がいなくなっても、別の誰かがやってくるのである。
それが組織の組織たる所以なので、それ自体は致し方ないが、その人しかいなかった、と思えるものではなかったのではないかと。

今の縁は、自分が想い、自分が動いたからこそ発生した人の繋がり。自分が動きださなければ生まれてこなかった縁であり、
だからこそまさに縁だ、と思えるのかもしれない。

まだ前職を辞めて3年。弊社団もまだまだどうなっていくか分からないのは正直なところ。
これからも更なる縁が呼び込める人であるために、凹んでも前に向かって進んでいこう、と思う今。


地方にリーダーがいない?


川や海の環境をよくする、という話になると、それらを資源として考えていて、過疎化進んで活気がない市区町村等で地方活性化に使えないか、という話が出てきてよく繋いでもらう。
ただ、そこで思うのは、本気でその地を良くしたいと思っていろいろ投げ打ってでもやってやる、というリーダーがいないな、ということ。

1)地方は今まで人が出て行くばかり
2)関わりの中で感じること
3)実際に成功している地域は?
4)地方・地域にこそリーダーが必要

1)地方は今まで人が出て行くばかり

私は愛知県名古屋市に住んでいて、実際いわゆる「田舎」に住んだことはないけど、今の仕事柄その「田舎」に行くことも多々出てきた。
そこで、特に行政関係者との話で出てくるのは「人が出て行って過疎化がひどい」「人が住んでいない家で、お盆の時だけ使うので人には貸さない。でもそういうところが増えている。人が減っている」「うちの地域に活気呼び込むにはどうすればいいと思うか」という話。
私は大阪→東京→名古屋 と住んでいるため、自然なところで住みたいと思うぐらいだが、実際そこに住むまではいかない。仕事がやりにくいのもある(ITは規模大きいほど役立つものなので、都市部に仕事が多くなる。地方だとHP作成、ECサイトがほとんどすべてともいえる)が、嫁がど田舎には住めない、という話も大きい。
曰く、女性であれば「地方だと買い物する場所が無い」とのこと。やはり買い物は多くの女性が心躍るものらしい。実際同じ場所に住んでいて、1年での変化も少なければ変化がある街に出たいと思うだろう。
また、地方に住んでも何もなく暇そうでやだ、という話もよくある。東京に住んでいる人だと「東京以外の暮らしとかありえない」という人もいる。

斯くして、地方に住むには
・仕事が無い
・活気、魅力が無い
・不便そう
という話で人が出ていく、帰ってこない、となる。

そもそも岐阜や三重の山手のところにいけば、高校が通えるところにないから高校から下宿するしかない、というところも多々ある。(鹿児島や沖縄の離島もそういうところは多々あり)。最近では高校までは義務教育みたいなものになっているので、必ず外に出て行ってしまう仕組みでもある。

2)関わりの中で感じること

そういう話を諸所で聞くが、実際ではどうにかしようとしているか、というと、本気でその地域のため行動までしている人は少ない、と感じる。
私が行った先では、たとえば飛騨古川や郡上は東京からのIターン組を捕まえ、呼び込み施策に奔走してもらっており、その人たちも本気でこの地域をどうにかしようと思っているし、恵那市串原にはその地域出身者でどうにかしようと行動起こしている人たちもいる。
ただ多くは地元民が一緒でないんだよな。たぶんどのようなことをすれば外部(他地域)から人が流れてくるのか、そもそも外部の人を呼んでまで地域を盛り上げること自体に疑問持っている人たちも多いのだと思う。

3)実際に成功している地域は?

転じて人を呼び込めるぐらいに成功している地域は、たとえば、知人の友人で、岐阜の荘川に宿をやるため仕事を辞めて行った人がいる。その人は蕎麦打ちが高じて3年後には宿を辞めて蕎麦屋をやり始めるのだが、その蕎麦が非常に美味いと県外からも人が来るぐらいに有名になった。それを荘川町の役場も見逃さず、その蕎麦屋の蕎麦を周りにも伝えてほしいとの話で、その人は快く引き受け、蕎麦作りを教えて、今では荘川そばとブランディングされているぐらいになっている。荘川そばは一人の人から始まっている。

後有名な話では、黒川温泉の後藤哲也氏の話。黒川温泉は個人的には湯布院よりもいい温泉町だと思う。テーマ性・統一感がしっかりしており、ディズニーレベルの統一感を感じる。
wikipediaの情報を転記すると「当時24歳の後藤は裏山にノミ1本で洞窟を掘り始めた。「風呂に魅力がなければ客は来ない」と考えていた後藤は3年半の歳月をかけ、間口2m、奥行き30mの洞窟を完成させ、そこへ温泉を引き洞窟風呂として客に提供した。さらに、後藤は裏山から何の変哲もない多くの雑木を運び入れ、あるがままの自然を感じさせる露天風呂を造った。他の旅館の経営者が後藤の教えに倣って露天風呂を造ってみたところ、噂を聞いた女性客が続々と訪れだしたため、後藤を奇人変人扱いし白眼視していた他の経営者たちも彼を師匠と仰ぎ、そのノウハウを請い、実践に移した。」
これも黒川温泉の飛躍期までに3年はかかっている。

最近有名になり始めた地方も詳細聞いているわけではないけど、結局本気でこういうのがイイんだ!と周りの声だけの人々を無視し(自分によくわからない自信があったものと思われる)、作り続けたものが他にない名物になって人を呼び寄せているのだと。

4)地方・地域にこそリーダーが必要

リーダーは、自分のやろうとしていることに正直に、心底信じて進んでいけること。進んでいる間のお金は無いものと思っているのだと思う。(3)の話では、そば作ったり温泉洞窟掘ったりする間は現在の事業には時間使えないわけで、稼げる目の前のお金は無視してやってきたのだと思う)

孫正義は「新しい挑戦をする時は、3割くらいの財産は捨てても良いという覚悟が必要だ。」と言っている。
それだけの覚悟をもって取り組む人がいれば一人が二人になり、四人になり、どんどん増えていく。

そして、3)の二人とも、また他でもリーダーは自分のノウハウを惜しげもなく公開している。それが全体のパイを増やすことになり結果売り上げにも繋がっている。でも本人たちはそこまで考えてノウハウ公開しているわけではないかもしれない。多分ノウハウ出しても自分はもっといいもの作れると思っている、とか、もっと本質的にはそれがみんなの役に立つんだったらいいよ、という心だと思う。

個人的な経験としても、ある地域で水辺の浄化してその周辺公園を活用した文化拠点にしたい!とその地域の理事長に話持ちかけられ、乗ってみて色々動いていると、そのうちその理事長に連絡取れなくなった。周りに話伺うと、その団体の総会で、うちでやる必要ないのでは、と言われやる気無くしていたそうな。梯子をはずされた形である。私が単なる雇われ、または依頼されている人だったら、その上がやる気なくしているんでしょうがない、で辞めるけど、その話は個人的に実現しようと思ったから受けた話のため、別のルートから現在地ならしをしていって続けている。
こういった話はたぶん地域・組織関わらず世の中あらゆるところに転がっており、人から何か言われても、考慮しつつも適度に無視して、最終的に実現させるまで諦めない人でなければ結果を出せないのだろう、と思う。それこそ先頭を進み「リード」する人=リーダーなのだと。

最後に、結局地元を良くしようと思う人は地元に住んでいる人しかいない。外部に住んでいる人は後押しにはなるけど、地元で核になる人材が必要。たぶんそういうが東京や大阪等大都市で経験積んできたUターン者やIターン者が多いのでないかな、と感じる次第。結局大体は「よそ者、わか者、ばか者」なのだろう。(よそ者、は他を知っている枠の広い人、という点に価値あるので、それと同様のものをずっと同じところに住んでいても持っているならそれはいいのだと思う。ただ百聞は一見にしかず)


寄付はビジネスに役立つ?


これは名古屋の外人社長が話したことを聞いた知人からの又聞きだが、なるほどな、と思ったこと。

知人はアフリカ等水不足のところに水を供給できる設備を提供するようなNPOにいて、そこで
ファンドレイザーとして資金集めに関わっているのだが、そのNPOのチャリティーパーティーには
以前からその名古屋の外人社長が関わっているとのこと。

その人になぜ寄付してくれるのか、といった旨を聞いてみると
「寄付はビジネスにも役立っている」
という話。
何がなのかと聞くと、「寄付は自分から進んで相手に貢献する行為。それが自然に行うようになると、ビジネスでもまずは自分から相手に貢献するために動くようになる。そうすると不思議なもので色々なビジネスに繋がって、結果ビジネスを拡大していけている。他の要素もあるだろうが、一つ大きなポイントなのだと思う」とのこと。

これは返報性の法則と言われるもので、自身でも経験あり。
ただ、これの注意点は「何かお返し返ってきてほしい」と思ってやると、それが相手にも伝わって何かの見返りにやってくれているんだ、と思われ、下心ある行動ならほっておこう、という気持ちが強まることにも。
見返りほしいなら見返りを求めてはいけない、という哲学的な話。
キリスト教の「与えよ、さらば与えられん」等数多くある話。ゴルフの「ホールに入れたいなら、入れたいと思ってはいけない」というのにも近い!?(それは違うか。)

そういった心を鍛えるなら、見返りを求めない「寄付」という行動は適した行動なんだろうな、と感じる次第。


働き方と育児と社会


弊社団のClearWaterProjectでは、現在5名+1名のメンバーのうち3名は小さな子供がいるが、
その全員が保育園の送りや迎え、料理などもやっている。
当然朝来るのは9時半以降になるし、保育園迎えに行く場合は17時には帰る必要がある。
ちなみに全員男である。

さて、そのような働き方を前提に事業を組み立てているわけだが、これは起業する上で前提に置いていた
働き方である。

最近は正月でも百貨店等初売りバーゲンで2日から、早いところでは元旦から店を開けているが、売上を上げるという観点では本当に最悪の方法論だと思っている。
確かに1日多く開店すると、売り上げが1日分伸びる。他がやっていない分1日分以上の売上を確保できるかもしれない。
ただ、その会社の売上で言えばその新たに1日分開いた年度は売り上げがその分伸びるが、その次の年は売り上げを伸ばすのに
その技はもう使えない。それどころか前年度より売り上げが下がる可能性が高いのでやっぱり辞めた、と出来なくなる。さらに周りの店が同様に同じ日に店を開けてくると売上は落ちるかもしれない。
さらに言えばその地域の市場が年間10億円だとすれば、正月に開いていなければ他の時期に購入していたかもしれないものが正月に買われただけで、市場の先食いにしかなっていない可能性すらある。

時間は有限であり、その時間を延ばすことで売り上げを上げるという行為自体が長時間労働を増やすが長期的な売上は増やさない無駄なことになる可能性が高い。それも一度延ばした時間を縮めるのは売り上げ減少に直結しがちでより難しくなる。(実際は層ではない方法も出来る)

この長時間労働体質は、育児に使える時間を無くし、少子化に大きく貢献(?)することになっている。
夫が長時間労働で子供を迎えに行けないなら、妻が短時間勤務するしかなくなる。その妻の職場が長時間労働が普通の会社であれば短時間で働くものが疎まれ、本人も居づらくなり、結果専業主婦化やパートタイマーレベルの仕事にしかつけなくなる。
両親が近くに住んでいればそれでもどちらかに子供の面倒を見てもらう、という選択肢も可能だが(私が知っているインド人はまさに双方の両親に交代で見てもらい、夫妻は共働きしていた)、現在は特に東京一極集中=若手の労働力が東京へ=東京で結婚して子供=地方の親と東京(都市部)の核家族、といった形が容易に想像つく。
それがサラリーマンが増えたことによる高度成長期以後の日本の自然発生的な形であり、少子化の大きな要因である。
(注:2022年1月現時点でざっと調べたところ、共働き世帯の増加及び子供人数に関しても専業より共働きの方が人数が多くなっているデータが出ている。)

上記で言えば、働き方に関する少子化対策で一番良いのは両親が子供の面倒を見れる範囲で仕事に就くことであり、次点は夫妻が両方時間を融通しながら子供を見れること。
当然専業主婦(主夫)という選択肢も本人たちが望むなら当然良いと思うが、人口ボーナス期が終わり人口オーナス期に突入した日本で、安心して一人の収入で家計を賄えると思っている人たち自体が少ないだろう。

日本の安心・安定と発展のためには、つまりは長時間労働が当然である環境を出来る限り少なくし、限られた普通の勤務時間内を制約条件に生産効率を上げる方向に事業を最初から設計、作っていく必要がある、というのが持論である。

これはすでに長時間労働が標準化している既存企業で一般的な8時間枠内に戻す、ということは非常に難しい。
株式会社ワーク・ライフバランスの小室淑恵さんがやっていくように既存の会社を成果を下げずに時間を減らしていくことも出来るとは思うが、内部の人間だけだとそもそも働きまくって今の会社を築いてきた人々が偉い人々になっているのだから、過去の否定を早々は出来ない。
なら新しい会社で新しい働き方を制約条件・前提に事業を創りだしていければ結果日本のためにもなる。
そう考えている次第。

ちなみに個人的には自身の能力を上げるために24時間365日働き絶対的な能力をつけていく、という考えも肯定的であり、社会人なり立てで、過去人生でも限界を超えたことが無い人々はまずは本気で時間制約なく仕事に打ち込んだ方が良いとも思っている。イーロン・マスク氏も孫正義氏も完全人生仕事(まさに事に仕える)で、週100時間働くのが当然だと思っており、世界のトップを走っている人間は実際そんな人ばかりのイメージもある。
そこはもう個々人の価値観の選択なのではないか、と思っている。

少なくとも弊社団ではそのような考えから、長時間労働を前提にした事業運営はしていない。
(ただしやはりシステム開発となると一時的に長時間働くことも出てくる。これが続かないようにはコントロールしている)

ちなみに働き方はその他に職種・職務・業界によっても適応可能なものが異なり、レジ打ちにフレックス取られてもやはり困るが、システム開発(それも自社サービス開発)にシフトを組んで意味があるのは問合せ対応ぐらいである。
また、それがモチベーションにも繋がるため、それらを勘案し
・フルフレックスの勤務(完全裁量労働)
・週1のミーティングのみは時間合わせ顔を合わせる
・ミーティングや作業、役割分担などを出来る限り効率化
・リモート勤務が出来るような環境整備
・フルフレックスが出来る限り可能な事業収入の選択
を行っている。


顧客第一主義VS社会第一主義と、自分の好み


酒の席で、仕事へのモチベーションから、何に重きを置くのか、という話になり、
喩え話でトヨタや三菱系と、ホンダや京セラ・パナソニックなどの違いに思い至った。
あくまで上記は文化・傾向がある、という意味で個々人を見た時は多様であることはまず注意事項として。
また、一部企業は実際過去にお客様として担当させて頂いたこともある経験値からも感じること。

トヨタや三菱系等は、どちらかというと徹底的な顧客第一主義、ユーザーが求めるものを
作り出す手法が非常に磨かれていると思う。

一方で、ホンダや京セラ・パナソニックといった企業は、技術主義や、経営理念で有名だったりする。
本田宗一郎氏、稲盛和夫氏、松下幸之助氏。
最近の一代で築いてきたことも影響しているとは思うが、会社全体としてこういった社会が良いから
このような製品を作る、という理念主義的な傾向があると感じる。

双方、経営理念に明文化されている内容の延長線上なのだと思う。
トヨタ:http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/philosophy/  (注:初回記載時には顧客第一主義的な言葉があったとの認識があったが、2022年1月現在はそのような言葉がない。豊田章男氏になってから変わったと思われる)
三菱重工:http://www.mhi.co.jp/company/vision/contents/index.html

ホンダ:http://www.honda.co.jp/philanthropy/rinen.html
京セラ:http://www.kyocera.co.jp/company/philosophy/index.html
パナソニック:http://panasonic.co.jp/company/philosophy/principle/

前者はオープン・公正明大、顧客、世界的。
後者は生活改善、文化、人間尊重や従業員の物心両面の幸福、文化の進展。
前者は顧客第一主義に、後者は社会自体の幸福や改善に重きを置いた考えになっているのだと考える。

その違いは、例えば医者が目の前に犯罪者の重病人がいた時に、治療を施すかどうか、という命題に近いかと。
前者は、誰であろうと病人であり、それを治すのは医者の役目であり、そのために全力を尽くす、という姿勢。
後者は、仕事人として目の前にいたら治しはするが、それ以前に犯罪者入院お断りにする、犯罪発生抑制に務める、等制約をつけて姿勢全体に理念の筋を通す、というイメージだと。

前者を有名な『顧客第一主義』とすると、後者は『社会第一主義』だろうか。

業界としてトップになりやすいのは、『顧客第一主義』に徹するトヨタや三菱系となり、
『社会第一主義』のホンダや京セラ、パナソニックは熱烈な支持者がいる一方で、業界1位にはなりづらいのかと。

ただ、一方で『顧客第一主義』的な行動は私個人としては最近危険を感じている。
当然人が求めるものを提供することが人にとっての幸せになり、企業業績にも好影響を与え、雇用も生まれいいのだが、現在の社会問題も実はすべてこの『顧客第一主義』、似た内容として「市場主義」により発生していると考えている。
この問題は経済学では「合成の無謬」という言葉で言われる。

社会上の問題としては
・顧客のために最も安い価格で提供できる努力をするが、顧客を向き過ぎることで作る側の下請け企業の製品を買い叩くことに繋がり、賃金下落圧力が強まる。その結果は発展途上国の1日十数時間労働で数百円の賃金、といった状況や、日本国内のデフレを招いた要因の中・低所得者層の賃金下落圧力にも繋がっている。
・女性の社会進出と少子化。顧客のために仕事第一で可能な限り働き、それを効率的に実施することを最優先することで人口の一極化(一つの場所に集まった方が生産効率高くなるため)=→親と離れて子育て環境整わず子供産めない や、プライベートの時間や弾力性ある働き方が出来ない=子育てする時間を取れないので産まない といったことに繋がり、子育てと社会での仕事の両立のどちらかを取らざるを得ない環境にある
・環境問題(大気汚染や水質汚濁、生態系破壊等)←個々人は車に乗る移動利便性、汚れがしっかり落ちる洗剤や、食べ残し、治水のためのダムや堰堤などなど、個々人の利便性を最大限追求した結果。
といったことが発生していると考えている。(個々人が直接的に意図してそれらを生み出しているわけではないためより厄介な社会的構造の根本要因)

上記『顧客第一主義』と『社会第一主義』の企業で、後者は上記問題に加担していない、とは言わないが、よりその問題を進めているのは前者の企業の考えだ、と感じてる。

社会には『社会第一主義』的な理念を掲げた株式会社より、 もう少し進めた 社会全体の人々の人生の豊かさとのバランスを取れる 『社会企業』 がこの資本主義の基本思想の中にもっと増える必要があるのではないか、と考えている。

だから自分の作った会社では持続可能性と考えられることを足元からでもやっていくようにしているし、メンバーの子持ち(男)は全員家事・子育てを両立して妻の社会での活躍を支えているし、非常に大きな自由裁量を任せているし、そのための運営をしている。


IT×水辺環境から社会を変えていく日々